横浜の街中を歩く老人の顔を覗くと何が見えてくるのか? - 定年退職後の高齢者の仕事、雇用、健康

今、横浜のみなとみらいに来ている。みなとみらいのスタバでブログを書いている。横浜駅から歩いてみなとみらいまで歩いて来たのだが、途中で色々な高齢者と行き交う。行き交う高齢者の顔を私は必ず見ることにしている。人生の大部分を過ごしてきた顔だ。顔にはその人の人生が描かれている。その顔はその人の心理状態を発信している。

日産ビルに行く橋を渡る途中で出会った70歳過ぎの高齢者男性の顔は、気が抜けた顔をしてメガネを歪んで掛けていた。とても、元気が良いハツラツとした顔とはいえない。精神的に何か病んでいる感じであった。

顔の表情は正直だ!

何か目標を持って活動している高齢者は、歩いている時も目が生きている。目が行き先を見ながら素早く歩いている。顔の表情に淀みがない

老齢になればなるほど自分の姿が変わってくる。人間ドックで気付くことは、身長が低くなってくることだ。2年ほど前までは、180.5センチあったのが今では179.4センチになっている。背骨の軟骨が縮んできているためのようだ。運動を継続的にしていない老人は、姿勢が悪くなる。体全体の筋肉が衰えて背中が曲がってくるのだ。

老人の肉体的な変化は、老人ならば誰でもが自覚している。

問題は、内面の変化だ。

目的がある余生を送っている老人であるか、そうでないかで内面の精神状態がだいぶ違う。70歳過ぎになれば、誰でもが解き放たれたタコのような感じを味わう。社会の中での存在感を自覚できなくなる場合が多い。何らかの仕事や社会活動をしている高齢者ならば、やるべき事があるので精神状態は安定している。

解き放たれたタコのような老人たちが沢山いる。そんな老人たちに出会うと共通した表情がある。人生の羅針盤が壊れたような表情である。社会人でいられる年齢の人は、社会が自ずと人生の羅針盤を提示してくれる。その羅針盤に沿って自分の人生設計をすれば精神的に安定した生活が出来る。社会でやるべきことを教えてくれるからだ。

社会から75歳を過ぎれば老人は用無しとして見られる傾向が強い。老人たちも自分たちは何も出来ないと思い込んでいる。そう思い込んでいる老人と「いいや、まだやれる!」と思っている老人たちがいる。これが老人の人生での分かれ目なのだろう。

人生の分かれ目がそのまま老人の表情に表される。顔の表情は本当に正直だ!