自分で出来る事を失う老後の生活をどう受け止めれば良いのか? - 定年退職後の高齢者の仕事、雇用、健康

今からこんな事を心配してもどうしようもないのだが、予想される現実を心の中に染み込ませるには今から考えておくほうが良いと思っている。「普通の生活が出来ている現在」と「介護されている未来の生活」とは、違いがあまりにも大きすぎるからだ。その違いが家内の両親を見ていて分かる。

自分の足で動く事が出来なくなり、老健施設でリハビリをする義母の生活は、自由を束縛された生活だ。生活をする世界が限定されてしまう。足の筋力さえ回復できれば、86歳の義母は、自宅に戻り普通の生活が出来る可能性がある。問題は、普通の生活が送れるだけの体力が老健施設のリハビリだけで回復できるかどうかだ。

その上、91歳の義父の世話までは出来ないだろう。老いて来て介護施設での生活に入ると元の生活に戻れなくなる老人がほとんどだ。どうしても家族や第三者の介護支援が必要になる。そんな現実を見ていると私たち夫婦の老後の生活を心配する。

どうしたら介護される生活を楽しめるようになるか?

80歳を過ぎれば、誰も脚力や体力が衰えて来て今まで自分で出来ていた行動が出来なくなる。炊事、洗濯、掃除、買い物など日常生活での活動が一つずつ時間を経過して出来なくなる。91歳の義父の一人生活を観察しているとそれが体感できるのだ。今まで気にすることもなく出来たことがある日突然やれなくなる。

自分が義父のような状態になった時、何をして残りの人生を楽しめば良いのだろうか。 

彼の一人生活は、私たち夫婦の介護支援なしでは続けられない。週に1回、彼が日常の生活で出来ない事を支援している。自分がそのような状態になったら、支援してくれる家族がいなかったら、どうするのだろうか。

足をやられると買い物難民になる。ゴミ出しも出来なくなる。炊事、洗濯も出来なくなる。完全に介護ヘルパーに頼らざるを得なくなる。お金があれば、何とかなるかもしれない。お金が足りない老人はどうなるのか。全ての介護支援サービス範囲で不十分な対応になる。野生の動物が足をやられて動けなくなり、死んで行くのと同じだ。

介護される立場になると日常生活が苦痛になる。自分で出来ないという精神的な苦痛だ。今まで出来ていたのに、なぜ、出来ないのだという精神的な苦痛だ。頭がしっかりしていて普通の考え方が出来る老人であればあるほど精神的な苦痛は大きい。

この精神的な苦痛を誰もが自分なりに飲み込まなければならない。飲み込むには、時間がかかる。老人が若返る事は無い。自分の体は、どんどん動かなくなって行く。これが老人になって行くという運命だろう。

普通の生活が出来る今は、自由がある。行きたい所で好きな事が出来る。何か食べたいと思えば、近くのコンビニで肉まんを買ったりも出来る。行動を妨げる物はない。お金さえあれば、不自由な生活は生まれない。そんな自由な生活が80歳を越える頃に出来なくなるとしたならば、自分の精神が持つのだろうか。凄い葛藤があると思っている。

最大の予防策は、健康寿命を延ばす事でしかない。介護される立場になったら、自分が出来ない事を第三者にやって頂くためのお金が必要になる。

お金が介護される生活で重要な役割を果たし始める。お金が少ない老人は、自助努力で健康寿命を延ばすしかない。仮に介護される生活に入ったら、自分で歩けない生活の中で時間を楽しむ趣味を今から用意しておくべきではないかと思っている。車椅子で生活をしても楽しめる趣味だ。パソコンやスマホ経由でインターネットの世界を駆け回る。これならば、私でも出来る。

足腰を支援する介護ロボットが生まれれば、自分で身動きする範囲も広がるだろう。車椅子以上に行動範囲が広がるはずだ。進化した車椅子や足腰支援ロボットを使って普通の生活に近い事が出来るようになるかもしれない。10年先、20年先の社会がそうなっていれば、介護される生活も快適になるだろう。そんな未来の社会を期待しながら、今、何が出来るかを考えたい。

誰もが普通の生活から介護される生活に移るのは確かだからだ。

この記事「自分で出来る事を失う老後の生活をどう受け止めれば良いのか?」のポイントは、

  • 「普通の生活が出来ている現在」と「介護されている未来の生活」とは、違いがあまりにも大きすぎる
  • 自分の足で動く事が出来なくなり、老健施設でリハビリをする義母の生活は、自由を束縛された生活
  • 最大の予防策は、健康寿命を延ばす事でしかない。介護される立場になったら、自分が出来ない事を第三者にやって頂くためのお金が必要になる。

 

goyat.biz