世の中には不思議なことが多い。だが、個人によってその認識が違う。私にとって不思議に思えることが他人にとっては日常として映る。ここで書くことは私の視点から感じたことである。私と同じように感じることや違う視点があったら、メールでコメントを下さい。
世代ごとに物事の見方や感じ方が違ってくる。「育メン」という言葉は私達昭和生れの男性にとって不思議な言葉になる。子供を育てる役割の多くが母親に任していた。男性は会社で働いてお金を稼いでくるという役割分担が常識であった。専業主婦が当たり前で共稼ぎ夫婦や家族は珍しかった。
70歳の私であるが、私自身老人になったという感覚がない。私が20歳代の頃の70歳の方は見ただけで老人に見えた。時代の流れで物事の感じ方も変わってくる。70歳の私の常識は今の常識と同じではないかもしれない。
日常の不思議、人を観察するとわかる
外を歩いているとき私はマスクをしない。コロナ感染が普通の風邪のようになってきたので電車やバスの中でもマスクをしていない。ただし、咳をしている人がいた場合はマスクをする。私が見かけるシニアはほとんどがマスクをしている。風が吹いている外でもマスクをして歩いている。何故なんだろうかと?
外でマスクをしている人
自分中心的な感じ方で言えば、外でマスクをする必要がない。ただし、こんな理由の方はあり得る。
- 花粉症の方
- 風邪を引いている方
- マスク美人でいたい方
一人で外を散歩している時は感染病になるリスクは非常に少ない。それなのにマスクをして散歩する理由がわからない。
超ミニスカートを履いた女子高校生
寒い冬に超ミニスカートとブーツを履いて町中に出てくる女子高校生がいる。足を冷やすと免疫力が落ちて風邪を引きやすいということを知らないようだ。自分の足の美しさを見せびらかすためなのか、ミニスカートが流行なのか、男性の目を寒い冬でも集めたいのか、動機はわからない。
シニア男性の目を楽しませる意味では喜ばしいことだが、常識的に考えて理解しがたい。雪が降っていてもミニスカートで歩いている女性は後で後悔をしているのではと想像してしまう。
夜、警告灯をつけず散歩をする老人
私はリュックにこのLEDライトを付けて夜歩いている。自動車を夜運転する人は分かっていると思うが、夜散歩する老人が突然前方に見えてくることがよくある。「私が歩いていますよのライト」が点滅していれば直ぐに人がいるということがわかるのだが、多くの老人は警告灯ライトを付けていない。
自分の命が危ないことを気がついていないのだろうか。夜の散歩で老人が交通事故に合うリスクは高い。
足が不自由なのに自動車を運転する老人
脚力が衰えるとちょっとした所に出かけるのに自動車を使うシニアが多い。不自由になった足で自動車を運転するという考え方が私には理解しがたい。もしかのときに素早くブレーキを踏む動作ができなくなる可能性がある。むしろ、自動車よりも自転車に乗ることをおすすめする。自転車で衰えた脚力を鍛えることができる。
動く動作が遅く、ヨロヨロして歩く老人が自動車に乗り込んで運転する姿を何度も見た。そのたびに危ないと思わざるを得なくなる。
いつでも、どこでも、スマホから目を離さない若者
電車に乗っているとスマホを見ていない人を探すのが難しい。電車を降りる若者を見てもスマホを見ながら降りていく。そのうえ、駅の階段を降りるときもスマホを見続けて降りていく。その後ろを降りていく私の目には危なくて少し距離をおいて階段を降りる。
先日も帰宅途中で前方から歩いてくる若い女性にぶつかりそうになった。スマホに夢中になってスマホ歩きをしていた。私はいつもスマホをリュックの中に入れて歩いている。同じようなことが若者にもできるはずなのだが、そんなことはやっていない。そんなに重要な情報がスマホの画面にあるのだろうか。不思議である。
パンティーラインが丸見えのパンツを履いている女性

男性にとってパンティーライン丸見えの後ろ姿は目を引き寄せる。ただ、純粋に見栄えを考えるとパンティーラインが見えないほうが良いと思う。女性の中には過敏にパンティーラインを気にする人もいる。一方でジーンズでパンティーラインが見えても全然気にしない女性もいる。その心理は個人の感じ方によるとしか言いようがないが、女性の感覚の不思議さである。
本来ならば、こんなジーンズヒップ姿が自然である。

公衆トイレの中にゴミを捨てていく人
日本ではゴミ箱をすぐに見つけにくい。コンビニ、スーパーマケット、カフェに行かないとゴミを捨てられない。よく目にする光景は公衆トイレの中にゴミを置き去る行為をすることである。個室のトイレで見つけたゴミは衣類であった。その次に新聞や雑誌、その他飲みかけドリンクボトルなど。
ビニール袋の自宅のゴミを入れて置いていく人もいる。公衆道徳やマナーに問題がある。ゴミを捨てたければ、コンビに行けばゴミ箱がある。
横断歩道の信号が赤なのに渡り始める人
横断歩道の信号を無視して道路を横断するシニアが多い。その理由は信号が目に入らない。待つのが我慢出来ない。色々とあるだろうが、自分の命をあまり考えていない。交通事故に合う確率が高いのにそれをあえて挑戦している。もっといけないのは、横断歩道でない場所を斜め横断する老人である。それもゆっくり歩いている。渡るときに左右をよく見ないで渡っている。自動車がやってくるのになぜか堂々と歩いている。
リスクに対する理解がないのだろうか。
横断歩道を渡り始める前に左右を確認しないで歩き出す歩行者
私は横断歩道を青で渡るときに必ず左右を確認してから歩き出す。信号が青に変わったからと言って確実に自動車が停まっているという保証がないからである。横断歩道を青で渡っていても交通事故に合う人がいる。交通ルールを誰もが確実に守っているという保証はない。
信号が青になったからと言ってすぐに走り出す人が多いが、それは考えものである。自分の命は自分で守るが基本。進行機は物理的に歩行者を守れない。
台風が来ている最中に川や海を見に行く老人
ニュースになる事故は川や海で遭難する老人である。それも嵐や台風が来ている最中で起きる。これは運命ではないかといつも思っている。普通ならば、嵐や台風のときに海や川を見に行かない。色々な事情があるだろうが、死神に呼ばれたとしか言いようがない。
ランチでおしゃべりを5時間もする女性たち
女性はおしゃべりが好き。お喋りができないと窒息死すると言われる。ランチを複数人の女性でするとそのレストランで2時間以上滞在し、その後カフェで3時間ぐらいおしゃべりして気分が良くなるようだ。男性ではありえない話である。なぜ、女性は長くおしゃべりをしてしまうのだろうか。不思議である。
3人の女性がカフェでコーヒーを飲みながらおしゃべりをしている。Aさん、Bさん、Cさんとする。Aさんが話し終わるとすぐにBさん、Cさんと話が続く。3人の間には静寂という間がない。話に夢中。男性の目からするとあんなにおしゃべりをして疲れないのかな!と思う。
自分のショッピングカートをスーパーの出入り口隅において外出する老人
朝スーパーに立ち寄るとシニアの御婦人で溢れている。多くは自分のショッピングカートを持参している。購入した食料品をカートに入れて帰宅する人とスーパーの入口近くに持参したショッピングカートを置いて別の場所に出ていってしまう御婦人がいる。
いつも思うのは自分のショッピングカートをスーパーの入口近くに置いて大丈夫なのかなあということである。その方にとってショッピングカートを持って別の用事を済ませるのは面倒で都合が悪いのだと思う。でも、男性のシニアが同じようなことをしている姿は一度もない。
突然、足を止めて立ち止まる老人
横浜の地下街を歩いている老人を見るとおかしな行動をする人をよく見かける。突然、足を止めてしまう老人である。気をつけていないとその老人にぶつかりそうになる。一番困るのはエスカレーターの出口で足を止めてしまう老人である。どちらに行こうか迷っているのだと思うのだが、出口を出た先で考え事をしてほしい。
目的なく歩いている老人にこんな行動が多い。
雨の日に帰りだけ自動車で駅まで迎えに行く親
夜雨が降っていると駅近くの道路には迎えの自動車でいっぱいになる。学校や塾帰りの子供や旦那さんを迎えに来ている自動車である。 面白い現象は、朝雨が降っているのに子供や旦那さんを自動車で駅まで送らないことである。母親は朝忙しいなのかもしれない。不思議である。
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結論:
日常的に不思議な出来事は頻繁に起きている。ただ、人それぞれその感じ方が違う。ちょっと人間行動を観察してみると驚きの発見がある。その背景にはそれそれの理由が必ずある場合とそうでない場合がある。今回の記事は私の感覚で書いた。

このページのシニアライター:Norito H.Yoshida