自宅にある自分の物を見て、もう二度と使わない物が多くあるのに気がつく。多くは、過去の産物だ。自分の思い出として自宅のスペースを埋めている。そのスペースを有効活用できていないのが分かる。仕事柄、コンピューター関連の古い道具(パソコン、HDD、コード、バッテリー、DVD、記録メディアなど)が出番が無いのに置かれている。機器自体は、古いがまだ使えるのでいつか使うだろうと思ってそのままになっている。
現実の話、10年前に買ったノートブックパソコンが今の私の仕事で使えない。まだ動くが使わないノートブックパソコンが2台ほどある。もしも時に使えるだろうと残しているのだが、多分、もし物時は来ない。
私の家には、まだ使える、万が一の時に便利、捨てたらもったいない、あったら便利、まだ着れる、昔の思い出、二度と読むことがない本などの理由で生かされていない物が置かれている。
まだ65歳で肉体的に若いので生活上で何も不自由はない。昔ほど物欲はなくなったが、仕事で使う物には絶えず目が行って買いたくなる。夫婦二人の生活が始まっているが、自宅には独立した子供の物が置かれている。長男はすでに子供ができて完全に独立している。私の65歳を節目にして長男や次男の物を片付けようと思っている。
勝手に捨てると怒られるから事前に子どもたちに期限を切って知らせることにする。
暮らしの断捨離でシンプルな老後を送る
93歳になる義父が住む一戸建て住宅は、もう、使わない物で溢れている。義母は、もう、自宅に帰って生活を続けるだけの脚力がない。とても93歳の義父を支えながら生活ができない。自宅にある義母の物は、一部の物を除いてほとんどリサイクルするか、捨てるしかない。普通の生活が出来る体ならば、まだ、使える物がたくさんあるのだが年齢と体力面でそれが無理であることが分かる。
私達夫婦は、介護支援で義父の家に行った時に断捨離をしている。目に見える物でもう使わないだろう物を義父に確認してリサイクルに出したり、捨てたりしている。それでも、たくさんの物が置かれて残っている。義両親が二人とも有料老人ホームに入るまでに出来る限り必要な物だけにしたいと計画している。
義父一人の生活で必要な物は限られている。義母の物は、本人が自宅に一時帰宅した時に確認を取ってどんどん捨てていくか、リサイクルに出すしかない。こんな状況を目の前にして自分たちの家をどうするかを今考えている。
自分の持ち物を点検する
自宅には、私の持ち物、妻の持ち物、子どもたちの持ち物、そして、生活で必要な物が置いてある。取り敢えず、自分の物を整理整頓しながら断舎離していくしかない。
- 本棚にある自分の書籍(思い出の書籍、読んで積んで置かれている本、出番がない本など)
- 整理ができていない仕事の書類
- もう、使わない靴
- 1年以上着ていない洋服、セーター、ズボンなど
- コンピューター機器類
- 物置に置かれている物
私が断舎離する物で一番場所をとる物は、少ない。多くは、妻の物や子どもたちの物である。子どもたちの物をこの年末に整理して捨てて良い物は捨てることにする。それで自宅に空きスペースが作れる。子どもたちの物は、私達夫婦の生活ではもう使わないし、必要でない物が多い。
断捨離は出来る所からやるに限る。
過去を捨てて今を生きる
断捨離をする時によく聞くことは、
- 今使っている物と使っていない物を区別する
- 1年以上使っていない物を識別する
- 万が一の時にどうしても必要になる物を識別する
- 自分たち夫婦に関係ない過去の物を識別する
- 自分たちの過去の産物でどうしても持ち続けたい物を識別する
断捨離は思い切りが必要だ。過去の物ほど、思い切りで捨てる必要がある。過去の思い出だけで置かれている物の出番はもうないに等しい。断捨離は、自分の過去を捨てて今を生きる物だけにする手段である。老いれば老いるほど使わなくなる物が増えてくる。今使っていても使えなくなる、使わなくなる物がどうしても生まれてくる。
例えば、
会社員時代によく着たスーツなどは、もう、毎日着る出番がなくなっている。スーツよりもジャケットの出番が多くなっている。スーツは、仕事で使えるうちに使い切るしかない。新しくスーツを作るなんてことはしない。今頻繁に使っている物中心に考えて生活に必要な物だけにする。
今ある物を消費するライフスタイルを始める
今年からできるだけ外出する時は、スーツを着て仕事に出かけることにしている。スーツを着てスタバに出勤するのは別に可笑しくないが、必須でもない。3シーズン物のスーツが独立してからあまり使っていないのだ。60歳代はまだ若いのでスーツを着る機会がある。スーツを着れる機会があるうちにできるだけ頻繁に着ることでスーツを着潰したい。
あと、10年したらもうスーツを着ることがないかもしれない。認知症になれば、スーツとは完全にお別れになる。使える時に使ってやらないとスーツに申し訳ない。普通の生活が出来る肉体があれば、スーツを活かせる。それができなくなったら宝の持ち腐れで終わる。
頻繁に着る下着、ワイシャツ、靴下などは自然と消耗されて行く。そのため、買い換える必要が生まれる。スーツ、ジャケット、コートなどは消耗され難い。
それ故、使える時に使って消耗する機会を増やすしかない。
革靴も同様な運命にある。会社員時代に何足も高価な革靴を使っていたが、独立してお客さんと会う必要がないビジネスになると革靴を履いて仕事をする必要がなくなる。スポーツシューズで十分になる。当然、革靴を履く機会は少なくなる。革靴は、靴の踵を替えるだけで長年使える。寿命は長い。
スーツと革靴は、使える時に頻繁に使わないと消耗できなくなる。今、スーツと革靴を使い潰すことを意識して使っている。もう、革靴を新しく買うことはないだろう。
横浜の街中を歩いている老人たちの靴を見てみれば、革靴の出番はなくなっているのが直ぐに分かる。
結論:断捨離と物を使い切る暮らしが老後の生活になる
- 自宅にある自分の物を見てもう二度と使わない物が多くあるのに気がつく。多くは、過去の産物だ。
- 私の家には、まだ使える、万が一の時に便利、捨てたらもったいない、あったら便利、まだ着れる、昔の思い出、二度と読むことがない本などの理由で置かれている、使われない物がたくさんある。
- 断捨離は、自分の過去を捨てて今を生きる物だけにする手段である。老いれば老いるほど使わなくなる物が増えてくる。