いつの頃か定かでないが、妻の言動を強く感じている。言葉に優しさを感じることが少なくなった。女性としてのしおらしさが言葉に出てこなくなったような感じである。段々と男性言葉が多く出る。何十年も一緒に生活をしてくると細かい事に気をかけなくなるためか。
還暦を過ぎた妻に新婚時代の優しい言葉を期待するのは夢かもしれない。多分、同じことを妻は私に求めているかもしれない。私から優しい言葉をかけ続ければ、妻の言葉も変わってくるかもしれない。ただ、現実の世界では難しい。もう、馴れ合いで生活が続いている。
もし、妻に優しい言葉を使い始めたら、妻はこう思うだろう。「あなた、どうしたの?」これが落ちである。老いたら妻に従えなのか!
妻のきつい言葉への反応
どの国の夫族は共通して妻からの言葉攻撃にさらされている。女性特有のおしゃべりで鍛えられた機関銃のような言葉の連射に参っている。言葉が優しい言葉であれば良いのだが、旦那にとって痛みを覚えるようなきつい言葉である。子供が巣立つと家は妻の天下になる。妻のお城の中では妻が世界を支配する。
家庭の中に入った男たちは妻の手のひらの上で踊らせられる。何かちょっと気に触ることがあると矢が言葉で飛んでくる。
妻のお尻を触ったら
70歳になった私でも性欲は未だある。3日に一度、筋トレ後のテストステロンの増加で性欲が起きる。身近にいる性欲を満たす対象として妻がいる。妻のお尻が目立つとついつい触りたくなる。時々ちょっかいを出してお尻を触るとこんな言葉が飛んでくる。
「あなた〜!今何かしたでしょ。今度私のお尻に触ったら夕食無しだからね!」
この言葉が「・・・夕食無しですからね!」であれば少しは優しい言葉になるのに。
夕食を人質に取られるとこちらはお手上げであるので、すぐさま降参。言葉だけで終わればまだ良い。運が悪いとパンチが飛んでくる時がある。体が大きい私であるので妻にとっては狙いやすい。時々、ソファーに座っている時にお尻を触って良いかと聞くと今度は足が飛んでくる。妻は毎週ピラティス運動をしているので素早く体が動く。
お尻ぐらい触っても減るわけではないのにと言うのだけれど、それは男の勝手と言われる。新婚から子供が小さい時までは妻のお尻は触り放題であったのが、今ではガードが非常に固くなった。きつい言葉以外にパンチと蹴りが付いてくる。パンチと蹴りのおまけはいらないと言っているのに容赦なく降ってくる。
だが、私も諦めない。妻の隙を狙って再度挑戦する日々である。
俺はお前の子どもか?
我が奥方は2人の子供を育てた。子供が巣立っても子供に対する言動が夫にも続いている。女性は変身する。恋人・・・>奥さん・・・>母親・・・>家の主という変遷がある。旦那は会社と自宅を行ったり着たりの伝書鳩。自宅はいつも奥方がいる。 定年退職後無職の夫は子どもの代わりになってしまう。自宅にいる時間が増えてくると自宅での妻ルールが見えてくる。その妻ルールが破られると子供を叱るような言葉が飛んでくる。
- ドアはバタンと強く閉めないで!音がしないように優しく締めて。
- 食事をしている時にゲップはしないで。
- 週末の部屋の掃除は午前9時以降にして。
- 外出時の帰宅時間は夕方18時よ。
こんな感じである。妻ルールを守らないときつい言葉がやってくる。
内と外では夫に対する言葉と態度が違う!
奥様方が集まる井戸端会議とは違って男性が出てくる場面では仮面を被る。夫に対する言葉使いも家では聞かない丁寧で優しい言葉になる。この時には旦那は妻に対して強い態度に出れる。妻に対して命令口調で話しても妻からの反撃はない。友達夫婦で会食などをする時は妻は仮面を多重にかぶる。内と外での言葉の違いが顕著にわかる。男性は女性ほど言動に違いが起きないと私は思っている。
しかし、気を付けることは自宅に帰ったあとに反撃の嵐がやって来る。妻は私の態度と言動を記憶に残している。記憶に残っていることを一つ一つ思い出して言葉の反撃をしてくる。男性はこんな反撃はあまりしないし、記憶にあまり残らない。細かいことに気を使う方はそうかも知れない。少なくとも私は過ぎ去ってしまったことは忘れることにしている。
個人差はある。表裏が少ない奥方もいる。旦那衆も表裏が酷く違う人もいる。一概には言えない。ただ、私の妻はそうなだけ。
ゴミ出しはあなたの役目
いつものように朝8時半頃、横浜に向けて自宅を出る。ゴミ出しの日になると必ず玄関のところにゴミが出来上がって持ち出せるように置かれる。私より前に外出する時の妻はゴミの持ち出しをしない。ゴミ出しは夫の役割と暗黙の了解があるかのように振る舞う。仕方なくゴミ袋を2つほど持ちながらゴミ置き場に向かうとマンションに住む他の夫たちも私と同じようにゴミ袋を手にしてやってくる。
奥さんたちがゴミ出しをしている姿をあまり見たことがない。妻に聞いてみた。「なぜ、自分でゴミ出しをしないのか?」妻の答えは簡単であった。「綺麗な奥様が汚いゴミ袋を持って外に出るのは恥ずかしいではないか」と。妻は外出する時に着飾る。ゴミ袋は彼女が描く絵の中に入らない。
妻ルールではゴミ出しは夫の役目である。彼女に言わせると「ゴミ出しの役目はゴミ袋を作ってゴミ置き場に運ぶ作業まで含むのよ!」と言ってくる。「私はゴミ袋を作ってあげているからその分だけあなたは楽をしているのよ!」となる。
自動車の中では
密封された空間は自宅以外にもある。自動車の中である。自動車の窓が閉まっている空間であれば、どんなに叫んでも外には聞こえない。妻はこの空間をうまく利用する。妻はサイドシートドライバーである。自動車の運転もでき、地図を私よりも正確に読み覚えることが出来る妻である。当然、私の運転にとやかく言ってくる。
そんな妻を私は教官殿と呼んでいる。窓が閉まっている自動車の中では妻が怒鳴っても外には聞こえない。そんな利点をうまく使って好き放題の暴言をしてくる。私は緑内障に蝕まれているため、右目の視野が半分しかない。そのため、意識して信号機を見ないと信号機が赤なのに見落としてしまう。それを妻は知っているので隣から信号が赤よと怒鳴ってくる。私の目の役割を妻が半分してくれている。
妻に取って怒鳴り散らすとストレスが消えるようだ。確かに日常で大声を出す機会は少ない。大声を出す相手が隣りに座っていれば張り合いがある。教官殿は私のドライブミスを見逃さない。ミスを見つけると訂正する楽しみがあるからだ。それに対する私の反撃はこうである。「運転したいんだろ。いつでも代わってあげるよ!」
筋トレで鍛えたカラダが妻のサンドバックになる
妻はピアノを教えている。ピアノ教師の指は凶器になる。叩かれると体に当たる瞬間に力が強烈に入る。指先がピアノで鍛えられているので鋭く丈夫である。ソファに座っている時に妻のお尻を触ると鋭い指が飛んでくる。いつも妻が狙う部位は厚い胸である。筋肉で盛り上がっている胸は狙うのにちょうど良い的になる。
私の胸はあたかもピアノの鍵盤であるかのように指で叩かれる。ピアノの音は出ないが痛みは感じる。そんな時はいつも叩く場所を肩にしてくれと頼む。筋トレで肩が凝っている場合が多いからだ。でも、鋭い指は肩にはいかず胸に向かってくる。体が私より小さく細い妻に反撃することもできず、胸筋のトレーニングとして甘んじている。
ピアノを引いている女性の指には気を付けることである。弱々しく見える女性でもピアニストであれば指が凶器になっている。
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結論:
妻による言動が老いてくるに従い強くなっている。なぜ、そうなるのか理解に苦しむ。これは私だけでなく妻を持つ世界の男性でも同じようだ。妻が強いことで夫は言葉を失うが、家庭はうまくまとまる傾向がある。これは人間社会を維持する上で必要不可欠な要素ではないかと感じている。
妻が言動で強くなっても妻と夫はお互いに支え続けないと生きていけない。余生は1人で生活するよりも二人で生活したほうが楽しい。妻も夫もお互いの強みで生活が成り立っている。家の外と内では妻の言動も変わる。世間体を気にする。その点、夫はあまり変わらない。
夫婦間で使う言葉が何であれ、夫婦が互いを尊重し、思いやりの気持ちを持って接することが、良好な関係を築く上で最も重要な要素である。