世の中は「お金がすべて!」と思って生活をしている人達が多い。生活に困ると「お金」が無いからということになる。「お金」がたくさんあれば、こんなに苦労しないのに!「お金」があれば、食べたい料理が価格を気にせずに食べられるのに!「お金」が有ればで続く言葉がたくさん出てくる。生活の不都合が全てお金がないからという説明で解決しようとする。

確かに「お金」は無いよりも有るほうが良い。「お金」に対する欲求が強すぎるとお金第一主義に陥る。他人の目から見て十分お金を稼いでいるのにまだお金が足りないと思い続けている人たちである。

ある米国人はお金持ちかどうかを聞かれた時にこう答えている。”I am NOT rich, but comfortable in living.” 金持ちではないが生活をする上で快適だ。

お金が十分あれば幸せだと言えるだろうか。お金がどれだけあれば幸せなんだろうか。本当にお金が幸せを与えるのだろうか。テレビのニュースで中小企業の社長さんがこんな事を言っていた。「食べていければそれだけで幸せだ!」

この感覚は還暦を過ぎたシニアであれあば、共感するのではないかと思う。食べられなければ生きていけないという現実がある。生きていければ何とかなるという世界に私達は住んでいる。お金は社会で生活していくための道具である。必要以上のお金はいらない。現在の生活を維持できて生きていけるお金があればそれでOKと思う人が多いのではないか。

お金と幸せはイコールではない。

幸せの感じ方

生活の中での幸せ感には個人差がある。お金持ちが感じる幸せ感と貧乏人が感じる幸せ感は同じでない場合が多い。生活環境が全く違うからだ。当然、価値観も違う。その意味合いで幸せ感は平等である。ソーシャルステイタス、経済的状況、教育背景、人生観などがその人の幸せ感に影響するが、その感じ方は世間で思われているような幸せ感ではない。

金持ちと貧乏人

貧乏人は高級ホテルのレストランで食事をするだけで幸せを感じる。お金持ちは特別に幸せ感を感じない。それが当たり前になっているからだ。貧乏人が幸せと感じる同じ感覚がお金持ちにない。幸せはお金持ちでないと得られないというのは嘘である。

「お金」があれば・・・という願いがそうさせているに過ぎない。お金がないと幸せを感じないなんてありえない。いくらお金があれば幸せを感じるのかと質問をしたいぐらいだ。

お金持ちは満たされすぎているため貧乏人が感じるような些細な幸せ感に何も喜びを感じない。 ある意味、お金持ちは不幸である。些細な事で沢山幸せを感じたほうが良い。幸せを感じる回数は、実際の生活で本当に少ないからだ。

今、お金が足りないために将来を不安に思っているシニアならば、お金に縛られない生活をどのようにして作るかを考え、試行錯誤するほうが楽しい老後の生活を送れる。幸せはお金では買えない。お金が有ればあったで便利だが、幸せを得ることにはならない

「お金」という欲望

若者が「お金」という欲望にかられると自分の希望と違った就職先に決めてしまいがちになる。本当はこんな仕事をしたいのだが給与があまりにも魅力的でない。だから、給与が高いこの会社で我慢するしか無い。「お金」第一主義に陥ると間違った人生判断をしてしまう。

シニアが第二のキャリアで再就職を探す時、同じ間違いをする。同じ間違いをするのだが、受け入れる側の会社が受け入れない。応募しても書類審査まで。面接にも到達できないという現実だ。お金に対する割り切りがシニアに求められる。

幸せ感をお金に求めるのではなく仕事が与えられるという機会に幸せを求める。20歳代の若者と60歳代のシニアでは社会での期待感が違う。年相応に社会での役割があり、それに幸せを感じ取る感覚が必要になる。

起業する人の幸せ感

自分で起業するシニアには全く違った幸せ感が待っている。無から有を作り出すという幸せ感である。自分の手で作り出したという達成感からくる幸せ感がそうである。売上が多い、少ないの話ではない。自分の手でゼロからお金を稼いだという新しい体験が幸せ感をもたらす。

会社員生活が長い人が起業すると初めての経験で満たされる。今まで知らなかったことが見えてくる。起業の醍醐味を味わうと喜びを感じ取る。挑戦すれば挑戦しただけのフィードバックがある。組織の歯車ではなく自分自身がビジネスのエンジンになっているという自覚から幸せ感を覚え始める。

自分が住む世界で幸せは完結する

自分が住んでいる世界は世の中に多くある世界の一つである。私の世界は個人事業主で生計を立てながら、年金生活を送る世界である。人との接点は極めて少ない。自分で求めなければ、おしゃべりする人も出会えない世界である。自分のライフスタイルが出来上がっている世界の中で余生を楽しんでいる。煩わしい人間関係などの問題はない。

衣食住で不自由がないので与えられた余生という時間を有効に使うにはどうしたら良いかを試行錯誤しながら生きている。70歳という年齢を気にしながら普通の生活を維持できる体力と健康を保つ生活習慣を身に着けようとしている。「普通の生活」ができる体は意識して作り上げないと失われやすい。下記の3つの要素は余生で幸せを感じ取るうえで重要になる。

  1. 筋トレを習慣化して体の筋肉を維持、強化する
  2. タンパク質食材を多く取り、栄養バランスが良い食事をする
  3. 7時間から8時間の睡眠を取り、日中の水分補充を忘れない

老いれば老いるほど体が資本になる。枯れ行く資本でなく、増える資本になる生活習慣を身につけること。知人、友人、親族の数は長生きすればするほど少なくなっていく。自分が住む世界は小さくなる。そして、世の中から徐々に消えて行く。幸せは自己満足の世界になっていく。

結論

衣食住で満たされたシニアが幸せを感じないと言えば、それは幸せの感じ方の違いから来る。幸せの感じ方は主観的である。人それぞれの感じ方で幸せが定義されている。70歳になって自分の幸せは何かと問われれば、お金が沢山あれば幸せであると言えない。生活していく上で必要なお金があれば、お金、お金と追い求める必要性を感じていない。むしろ、妻と一緒に生活する時間が幸せであり、その時間ができるだけ長く続くことを願っている。

私の幸せ感は妻と一緒に余生を楽しむ時間を持つである。 お金ではない。お金は食べていく上で必要なだけ有れば足りる。