スポーツセンターのジムで筋トレをしていた。水曜日の午前中は、ジムを使う人達が少ない。シニアの男女が目立っていた。いつも顔を合わすシニア男性がいる。彼は、近くのおばちゃん(70歳代)に気楽に話しかけていた。話の内容からお互い顔見知りではない。

私の性格では、どうしても話しかけないといけない状況でないと自分から進んで話しかけられない。そのため、筋トレだけに集中してしまう。疲れて休憩している時に周りの人と話ができれば良い気分転換になる。

一匹狼的な性格で人生を過ごしてきた私である。そんな雰囲気が体から出ているのだろう。気楽に話しかけられる雰囲気がないのかもしれない。本当は、ジムで筋トレをしているシニアと話をしたいのだが、話しかけづらい。

孤独と孤立を避けるには他人に気楽に話しかける勇気と努力が必要だ!

知らない人に話しかける事に抵抗がないシニアは幸せだ。その人の性格によるのだが、私は子供の頃から知らない人に気楽に話しかけられない。この性格を治療するために米国の大学に留学した。米国人の社交性を学びたかった。留学時代での生活は、驚きの連続であった。

知らない人から突然、Hello!とか、Good morning とか、話しかけられた。米国人の社会は多人種文化であるためか、私のようなアジアからの留学生をよそ者扱いをしない。

 私は米国人の気楽に話しかける文化を自分の性格の中に取り込めたかった。4年間の留学生活で米国人に対して気楽に話しかけられるようになった。特にブロンドの美しい女子大学生に対しては積極的に話しかけた。米国流のナンパ方法も学んだ。

日本に帰ってからは、時間と経過に伴い元の自分の性格に戻っていった。帰国後5年ぐらいは、米国での生活習慣や考え方が体に残っていた。日本の文化に再教育され始めると元の自分に戻り始めた。

63歳になった私は、今も一匹狼的な生活から離れることが出来ない。住んでいる場所が米国であれば、今と違っていると思う。知らない人との会話を楽しむ米国人のような生活をしているはずだ。

私の長男は、私の遺伝子を受け継いでいる。私以上に会話を楽しむというよりは沈黙を好む。知らない人に話しかける努力をしたようだ。タクシーに乗ったら、必ず、自分から話しかける努力をしたと聞く。

だが、

その努力は長く続かなかったようだ。性格に合わないため苦痛になりストレスを生んだ。今は、気の合う友人や知人との会話だけで楽しんでいる。私よりも交友範囲が広い。羨ましい限りだ。

次男は、口から生まれたような男だ。知らない人に対して全然抵抗感がない。気楽に話しかけられる。彼が大学生時代にキウイフルーツの店頭販売のアルバイトをした。彼の人柄と話好きな性格がお客を引き付けてNo.1の売上を立てたと言う。彼の性格は、家内の遺伝子から来ていると思う。

家内は私と正反対の性格を持っている。人から好かれる性格や表情がある。いつも、知らない人から話しかけられてすぐに友達関係を作ってしまう。一緒にいると楽しくなる性格の人だからだろう。彼女のお陰で私は毎日笑う生活を送っている。彼女の性格の一部でも身に着けられれば、気楽に知らない人に話しかけられるのではと。

ビジネスの懇親会で日本人の多くは、知らない人に話しかける人が少ない。いつも、知人を見つけて話し込んでいる。知らない人に話しかける習慣がないためではないかと勝手に思っている。人の社交性は、その人の性格と努力に依存するのかもしれない。

年老いて行くと新しい知人や友人を作る機会が減少する。交流の場があっても知らない人に話しかけられないと出会いも生まれない。話しかける側に立つか、話しかけられる側に立つかで精神的な負担は違う。私の家内のようにいつも話しかけられる人は、楽だ。努力しなくても知らない人たちが話しかけてくれる。

同様にしたら話しかけられる側に自分を立たせることだ出来るだろうか。

これからこの問題を解決するヒントを探そうと思っている。知らない人に話しかけられる機会が多いシニアを見つけて観察したい。

この記事「幸せなシニアは気軽に他人に話しかけられる人ではないか?」のポイントは、

  • 私が米国に留学した理由の一つは、米国人のような社交性を身につけることであった
  • 帰国後5年間ぐらいは、米国流の社交性が体に染み込んで残っていたが今は消えてしまった
  • 知らない人に話しかけられる側に立つにはどうしたら良いか。それが今の課題だ。