年金生活が長くなると何のために自分は生きているのかという疑問が心に芽生えてくる。年齢が80歳をすぎれば体の調子も悪くなり自分の時間を楽しむことも限られる。60歳から毎年1歳づつ年を取っていく過程で自分の存在が社会から求められていない感覚を感じ始める。
そうなると、私は何のために生きているのかと悩み始める。
老いて来ると今まで出来ていた事が出来なくなったり、生活の環境について行けなくなったり、 経済的に苦しくなったり、生きがいがなくなったり、時間をもてあそぶ事が多くなる。生きる目的を見失いがちになる。
何か没頭することがあれば、精神的な悩みは消えて無くなる。物理的な不都合は、自分が出来る範囲で改善しようとする努力が無い限り消えて無くならない。誰もが老いからは逃げられない運命にある。生きることを楽しむためには何をしたら良いのだろうか?
高齢者全般に言えることは、動きが鈍くなるということだ。歩き方を見るとそれがすぐに分かる。学生のグループが駅で歩いている姿とシニアが歩いている姿を比較すると歴然として体の動きの違いが目立つ。体のバランス感覚が衰えてきているために歩く動作が柔軟性に欠けている。
65歳を過ぎて年金生活を始めたシニアは、お金と老後の生活をどうしようかと悩み始める。老後の生活を不安なく生活できるお金が十分あるかどうかだ。夫婦のどちらかが介護状態になった時に手持ちのお金で生活を維持できるかどうか。不安は尽きない。
60歳代と80歳代では、ライフスタイルが変わる。80歳代の老後生活は、不自由になる。体がくたびれてくる。行きたい所へも行けない。夫婦のどちらかが他界しているかもしれないし、介護施設生活になっているかもしれない。
命という時間が刻々と減って行くのが見え始める。老人になるということは、減って行く命の時間をどれだけ満足がいくように使えるかだ。
今朝、横浜駅に隣接しているそごうデパート3階にある広場で多くの高齢者集団を見つけた。リュック、帽子、運動靴、ジャンパーの姿で地図パンフレットを持っていた。ウォーキングのグループ団体だとすぐに分かった。
男女ともに同じぐらいの割合。年齢的に70歳以上の高齢者が多い。健康を意識して歩く老人が増えているのだろう。どうせ歩くならば皆で一緒にという事だ。ウォーキングは自然を楽しみながら歩く。それが老人にとって一番健康に良い。電車に乗ってハイキングコースがある場所に移動し、散策を始める。
そのために駅に隣接しているそごうデパートの3階広場に集合していたのかもしれない。
みなとみらいの蔦屋スターバックスでコーヒーを飲みながら一冊の本を読んでいた。「軽くなる生き方」written by 松浦弥太郎。「暮らしの手帳」の編集長が書いた本だ。1時間ぐらいで軽く読んでしまうほど軽い。200ページ以内の本だ。
この本を読んで気が付かせてくれたことは、「私は知らないうちに本当に必要ないものまで必要であると思い込んで人生のリュックに詰め込んでいた!」という事だ。人生のリュックはこれも必要、あれも必要と思い込んで人生を送りながら重くなっていく。知らないうちに不必要なものまで必要だと思い込んで心の荷を重くしているのだ。
133 / 194
このページのシニアライター:Norito H.Yoshida
Profile
Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.
シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。