横浜ベイクォーターにあるDelifranceというパンとカフェのお店で4人の老人男性(80歳代)がおしゃべりをしている。その声がカフェの全席に届くぐらいの大声に成っているのだが、何も気にしていない。聞きたくなくても私の耳に届いてしまう。老人男性4人の席を囲んで中高年のおばちゃんたちが元気良くおしゃべりをしている。こちらの声も大きい。声に感情が乗って踊っている。

カフェは、コーヒーとおしゃべりの場所であるから別に気にすることもないのだが、老人男性4人の会話の内容がどうしても私の耳に届く。

大きな声から80歳代の老人の生活が見えてくる!

80歳代の老人になるとカフェで会ってお喋りをする仲間が少なくなる。参加したくても足が弱くなって外出ができない老人が多くなるからだ。この4人の男性諸君は、幸運にもまだ自由に身動きができる体を維持できている。4人の中の一人が、正月に旅行に行くと話し始めたら、もう一人の老人がどちらへと追求してきた。金沢で温泉を楽しむ予定だと答えていた。それが発端で各人の持論が始まった。温泉を楽しむならば、金沢よりも〇〇だとか、いや、XXXXだという感じだ。その声のボリュームが大きい。

老人への入り口は、知らないうちに大声で話をし始めたときかもしれない。

80歳代の老人男性4人は、老人性難聴で音が聞こえ難い状態にあるのでは。誰しも老化で耳が遠くなるからだ。気がつかない内に自分の声が大きくなっていく。自分の聴覚状態に合わせて声の大きさが調整されるのだろう。私も聴覚障害を持っている。子供の頃のおたふく風邪の後遺症で左の聴覚が失われてしまった。声の音域がはっきり聞こえないのだ。それに老化現象が加わって右の耳も機能低下に成っていく。家内から声が大きいと言われている。

大きな声で会話をすること自体は問題ではないのだが、個人情報が他人に聞こえてしまって良いものだろうかと心配する。

女性グループと違って老人男性4人のカフェでの会話は短かった。30分ぐらいで終わった。80歳代の老人たちの正月は、寂しい正月かもしれない。自宅にいるよりも旅先の旅館で温泉と美味しい食事を楽しむのが一番幸せのようだ。

我が家の正月は、元旦は自宅で新年を祝い、近くの神社に初詣する。2日目は、家内の両親宅に行って大家族の正月料理を楽しむ。昨年まではこんな感じであったが、今年はちょっと変わるだろう。義母が老健施設に入居している。正月元旦に老健から一時帰宅して(3時間ぐらい)皆と一緒に新年の食事をすることになる。

家族間の交流が密な関係であれば、正月はいつも会えない子どもたちとその孫に会える。賑やかな正月になる。幸運にも我が家は、その部類だ。関西に住んでいる家内の兄家族と私達家族が家内の両親宅に集合する。10人以上になる。一方で寂しい正月を迎える家庭もある。子供がいない夫婦、兄弟がいない夫婦などの家庭だ。

先程の老人男性4人の家庭がどのような家族交流関係に成っているのか分からないが、自宅を離れて夫婦だけで旅先の旅館にいるのは何らかの理由があるのだろう。子どもたちの家庭が出来上がると両親との関係が疎遠になって行く。何か有ったときしか両親の顔を見ない。

年齢が80歳を越えると孫達も大人になっている。それぞれの人生が既に始まっているため、大家族で正月を祝うことも出来ない場合がある。海外の旅先(ハワイなど)で正月を楽しみたいという若い夫婦や家族がいる。子どもたちの家族が成長するに従い、それぞれの人生が始まるため正月は両親の自宅で祝うという慣習がある、無いで生活は変わってしまう。

都会と田舎の老人宅でも違いがあるだろう。老人になればなるほど個人差が広まる。皆が皆同じような正月を迎えることはない。

この記事「カフェで大声でお喋りをする老人男性4人から見える老後」のポイントは、

  • 老人性難聴で自然と声が大きくなるのだが話す内容が個人情報でヤバイ。
  • 正月をどのような感じで過ごすかで個人差が出やすい。
  • 老人への入り口は、知らないうちに大声で話をし始めたとき