新郎の父が注目されるのは、結婚披露宴最後に行う挨拶である。父親から結婚した子供へのメッセージになる。その役目を今回初めて受けた。長男の結婚式を先週の土曜日に行ったからだ。挨拶内容を色々と考えて下書きをしたのだが、いざ、声を出して予行演習をすると頭に下書きした内容が浮かんでこない。
私の挨拶は流暢ではなかったが・・・真意は伝わったと思っている!
男の子を持つ親は、子供が結婚する時に必ず披露宴最後の挨拶をすることになる。誰もが流暢な、上手い挨拶ができるとは限らない。私も知人や親戚の結婚式と披露宴を経験してきたが、父親の挨拶ほど真意が伝わるものはないと思っている。
それ故、
披露宴の出席者は、父親からの挨拶がどのような挨拶になるか関心が高い。披露宴では、会社の上司や友人たちからの挨拶スピーチがある。上手い人もいれば、失敗だらけの人もいる。
でも、
お祝いの席であるのでどんな失態でも許されるし、誰もが挨拶をする人は緊張していると分かっている。慣れ不慣れの挨拶であるから、周囲は理解がある。特に、親からの挨拶は、新郎新婦にとって意味合いがある。新しい門出を祝い、厳しい人生に打ち負かされないサポートの言葉が必要だ。
挨拶の下書きを2回書き直した。公園で予行演習もした。予行演習をしてどうしても伝えたいメッセージだけを頭に叩き込んだ。人前で挨拶をするのは、この10年間なかった。自分の専門分野であれば、下書きなどをせずに経験からいくらでも話が出来る。
新しいカップルへのメッセージとなると不慣れな内容となる。考えながら話す内容になるからだ。
当日は、最初から正直にありのままの自分で挨拶を始めた。下書きの用紙を手にしていたが、読み上げるようなことはあえてしなかった。読み上げ始めると内容の流れは問題なく流れるが感情が自然の言葉で表現できなくなる。読み上げる挨拶は、面白く無い。
それが嫌なため、頭に浮かんだ、頭に叩き込んだポイントだけをありのままの自分の話し方で始めた。その結果、出席者へのお礼の挨拶も言い忘れ、全く従来の形式からかけ離れた始まりのスピーチになってしまった。
多くの出席者は、形式的な話し言葉・表現は聞き流しているので大した問題にはならないと私は思っている。
最初の言葉は、こうである。
「今、私は緊張しているのでこれから何をお話しようか頭が真っ白なっています。下書きを用意しているのですがこれを読み上げるつもりはありません。」こんな感じでありのままの自分の話し方で挨拶を始めた。
私の兄や親族からは、「流暢な挨拶ではなかったが、伝えたいメッセージは伝わっていて良かった。まわりの親族も評価が高かった。」とコメントを受け取った。
受けを狙ったスピーチが出来る人もいるだろうが、不慣れなことはやらないほうが良い。不自然になり、受けが受けでなくなる。いつもの自分の話し方と思いを自然な姿で話しかけるやり方が一番私は良いと思っている。
挨拶スピーチの最後は、私が好きな言葉で締めくくった。
Happness is a perfume you can not pour on others without getting a few drops on yourself.
(幸福は香水ごときもの。人に振りかけると自分に必ずかかる。) by 米国の思想家・詩人 Emersonの言葉です。