幸せを感じる瞬間がある。なぜ、そのように感じるのかは分からない。他人から見ればそれが幸せを感じさせるのか理解できないかもしれない。在り来りのことで私は幸せを感じている。
幸せの感じ方は、人それぞれ違うのかもしれない。私は普通の生活が出来ている日々に幸運を感じる。住み慣れた実家を離れて老健施設で不自由な生活を送っている義母の現実を見ているからだ。老後の生活は夫婦二人でのんびりと共有する時間が過ぎて行く。
夫婦で共有する時間を楽しめるか、楽しめないかで夫婦の幸せ感は変わってくる。
幸せを感じる瞬間
私たち夫婦は、機会がある度に二人で食料品の買い出しにスーパーマーケットへ行く。一緒に夕食の食材をピックアップする。あれが良い、これが良いと会話しながら食べたい食品を買い物かごに入れていく。
シニア夫婦がスーパーマーケットで買い物をする時
長年連れ添った妻と一緒に会話をしながら食べたい物を選んでいく時間が幸せを感じるときである。これを独りでするのはつまらない。夫婦の会話がある時間は、幸せが生まれやすい。
この感じ方は、私だけかもしれない。スーパーマーケットで買い物を一緒にすることで幸せを感じる人はいないだろう。幸せの感じ方は、人それぞれだから。
今日の夕食は、ローストチキンレッグとコロッケがメインのおかずになる。デザートにブドウがつく。サラダは、新鮮なトマト。後のメニューは、妻任せ。豪勢な食事メニューではないが、お互いが食べたいと思った食事になる。
シニア夫婦の幸せ
夫婦の幸せは、お互いが幸せと感じるモーメントをできるだけ多く持てる時に生まれる。それは、一緒にいる時間と会話から生まれる。お互いを思い合う気持ちが一緒にいる会話から感じられるからだ。
子供が巣立って二人だけの生活を送るシニア夫婦が多い。会話がある夫婦、一緒にいる時間が多い夫婦がどれだけいるだろうか。お互いに別々の時間と生活が多い夫婦は、お互いの気持を察し合う機会が少ない。幸せはちょっとした夫婦の時間から生まれてくると私は感じている。その場面が、私の場合、一緒に買物に行く時になる。
老後に離婚する夫婦がいる。どちらかが不幸を感じて我慢できなくなったためだろう。離婚後、悲惨なのは家庭のことを何もしていない夫。どこかで二人の間を結ぶ心の鎖が切れてしまったのかもしれない。老後の生活は一人よりも二人のほうが楽しい。お互いに助け合える。
老いて行く人生の時間を共に分かち合うことで苦しさに直面したとき、その辛さを和らいでくれる。
結論
老夫婦が一緒にスーパーでお買い物をする風景を多く見かける。一人暮らしをしているシニアの目から見れば、羨ましいと感じるに違いない。自宅で買い物で旅行先でおしゃべりを気楽にできる相手がいれば、老後の生活も充実する。老後のリスクは一人で孤独を感じることだ。
老後の幸せはシニア夫婦が共有する活動時間にある。その一つがスーパーマーケットでの食品の買い物である。何でも無いことだが、夫婦間で会話が必然的に生まれる。会話の裏にはお互いを思い合う気遣いがある。