起業は基本一人で始まる。一人でビジネスモデルを作り、テストして生活費を稼ぐ。やるべき事は沢山ある。毎日が忙しい。一人でいるということが苦痛にならない。営業で色々な場所に顔を出し、売り込む。やりながらうまくいかない部分を修正していく。起業という仕事は、孤独を忘れさせる。自分のビジネスを作れるとそれが楽しくなる。楽しくなると一人でいる事自体を気にしなくなる。
起業して12年が経過するとある日、ある時、自分が一人で誰とも話をしていないことに気がつく。仕事をしている切れ間にそんな感覚を持つ。一息をついているときだ。
孤独は、暇な時にやってくる。暇な日々が続くと一人でいるという事実が重くのしかかる。人恋しさが生まれ、会話が生まれる場所を探し出す。人間は人間に恋をすると同じだ。共通の話題で集まる団体や勉強会に顔を出し始める。いつも、懇親会で孤独を忘れるようになる。
老後の生活は孤独がつきまとう!
人間はソーシャルアニマルという。グループの中で安心、安全を感じやすい。長生きをすればするほど社会的な活動をしていないと自然にひとりぼっちの生活に入る。一人で時間を過ごすことを気にしなくなる仕事、やるべき事、趣味、遊びがあれば、孤独は耐えられる。
65歳で組織の中で働く機会を失ったシニアは、初めて本当の孤独を感じ始める。毎日が日曜日だ。自由な時間はあるが、その時間をうまく使えない。朝起きてやるべきことが浮かぶ生活リズムがあれば、孤独は近寄ってこない。
起業家も同じだ。起業した時のビジネスモデルが社会や環境の変化で通用しなくなった時、孤独が襲ってくる。新しいビジネスを作り出すアイデアが浮かんでこない。既存のビジネスモデルから新しいビジネスモデルに乗り移ることができれば、やるべき事は沢山生まれる。このブリッジができないと踊り場で孤独相手に一人踊りをしていなければならない。
孤独が近づいてくるとき
2年ほど前、私は新しいビジネスに鞍替えするために試行錯誤をしていた。今まで稼いでいた事業の売上が縮小し始め、新しい顧客の開拓で壁にぶつかっていた。一人で悩みながら自分が持てるリソースを応用して何か出来ないかを考えた。自分の強みを活用してお金を稼ぐ活路に挑戦した。お金は簡単には稼げない。新しいビジネスモデルがビジネスの規模になるまで時間と忍耐が要求される。
古いビジネスでお金を稼ぎながら、時間を稼ぎ、新しいビジネスモデルが立ち上げ準備をする。新しいビジネスモデルが本当にお金を生み出すかどうかは誰も分からない。やってみないと分からないというのがインターネットビジネスだ。
一人で悶々としながら苦しむ。こんな時に孤独が近づいてくる。何をやったら良いか確信が取れないので頭がボーッとしてしまうからだ。上手く行くことを願いながら、ひたすらに挑戦し続けるしかない。時には、ビジネスヒントを求めながら起業家が集まるセミナーや懇親会に顔を出す。
同じ起業家であるから類似の苦しみをしている。数十人の社員がいる会社の経営者でも孤独だ。ビジネスの方向性や新規ビジネスの決断は経営者に委ねられ、社員の生活を維持する責任があるからだ。創業者は、規模がどうであれ、一人で事を起こさなければ何も始まらないのだ。今日やるべき事がルーチンワークとして出来ていれば、孤独はやってこない。何に時間を投資したら良いか迷っているときだけ孤独はやってくる。
自分で忙しくする生活のリズムを作ると孤独は消えて行く
70歳を過ぎて仕事から完全に離れた老人たちは、孤独と戦いながらマクドナルドで文庫本を読んでいる。老後の生活は、自分で忙しくする生活リズムを作れないと孤独に襲われる。勉強好きなシニアや読書好きの老人は、好きなことに時間をすべて投資できる。何をやったら楽しくなるかがわからないシニアだけが問題を抱える。
「類は友を呼ぶ」で同じような境遇になっているシニアが自然と集まってくる。集まる場所は、図書館や公園だ。誰もが黙っていて、自ら交流しようとしない。ただ、そこの場所にいるだけだ。共通の目的がそこにないからだ。長生きをすれば、新しく知人や友人を作らない限り一人生活は続く。
自分の足で歩くことが困難になり遠くに出かけられなくなると完全に孤立する。年齢が80歳を超えれば、足の筋力が相当衰えて老人ホームでしか生活ができなくなる老人が増えてくる。老人ホームに入居している男性は女性よりも孤独だ。女性はおしゃべりですぐに新しい友達や知人を作ってしまう。男性はおしゃべりを自分から仕掛けることが苦手だ。
今60歳代で、沢山の知人や友人がいたとしても20年後には、状況が変わっている。孤独を気にしなくする方法を自分なりに作り込まなければ、自然に孤独がすり寄って来る。
孤独を友にすることができれば、一人暮らしも楽しくなる。何かに没頭しているシニアは孤独を友にしている。目的を持って余生を送っているシニアは孤独を意識する時間が短い。毎日やるべきことがあり、それが分かっている。シニアにとって暇な時間と孤独は連動している。
「卒婚」が話題になっている
定年離婚の一歩手前に「卒婚」がある。「卒婚」は妻が夫に求める場合が多い。各自が好きなことをしてお互いを拘束しない生活を「卒婚」という。妻は長年夫の世話で自分の時間を取られ続けていた。その鎖を「卒婚」で切りたいという要望である。
夫と1日中顔を合わす老後の生活に耐えられないという妻の本音が出ている。夫は逆に自宅で1日中妻と一緒にゆっくりと生活をしたいという希望が有る。妻の要望と逆である。この問題は、夫婦によって起きない場合も有る。起きやすい夫婦は、会社員の夫を持っている場合だ。夫婦で自営業をしていればお互いが依存し合った生活が有る。毎日一緒に生活をしている。「卒婚」は起きない。
定年退職後の人生は、本当にHappy Retirementなのだろうか。死ぬまで人生の試練と向き合い続けなければならない。夫婦一緒に余生を楽しめる関係を今から模索すべきではないか。
結論
- 起業をしていると毎日やるべきルーチンワークがある。好きな事で時間を費やしているからだ。
- 孤独は、毎日が日曜日になった時にやってくる。70歳を過ぎて完全に社会活動が引退したシニアは、孤独に陥りやすい。なにか時間を潰すものが必要だ。
- 今60歳代で多くの友人、知人がいても20年後は一人で孤独と向かい合っている可能性が高い。孤独を忘れる何かを今から持つ必要がシニア男性にある。