定年退職後のシニアは、今まで働いてきた分野の知識と経験が有る。それが社会で求められる「場」があれば、給与の金額はどうであれ自分が社会でお役に立つと感じ始める。
現実はアクティブに働きたいシニアの働けれる「場」が生まれていない。人材不足と言われているが、経営者たちは色眼鏡で人材を探しているようだ。少子高齢化で最終的に困るのは企業であるのだが、それがまだ分かっていない。企業はシニアのリソースを有効活用できる仕事環境を考えて提供すべきではないか。
シニアに生きがいを与えることで社会は活性化する。働きたいシニアに働く場を提供する社会環境が今求められる。
シニアの生きがいは社会の中で生きる「場」で生まれる!
ある人は、「生きがいは働くことに有る」と言っている。社会で役に立つには、労働生産的なことを行えばその行為が社会に反映される。問題は、自分が進んでやれる仕事であるかどうかである。嫌な仕事を無理やりやっても続かない。自分が出来る仕事を探してやる。それしか無い。
若い人たちは、金額で仕事を選ぶ。シニアは、金額よりは自分が活かせる仕事内容で選ぶ。生きがいは、自分が生きる仕事の中にあると思う。でも、そんな仕事がたくさん有るわけではない。それが現実である。
自分の能力を発揮できる仕事は自分で作り出す
60歳、65歳を節目にシニア起業をする人たちが増加している。定年退職したシニアのリソースを活かすことが出来ない会社が多いため、シニア自身が起業して自分たちが満足する仕事を作り出そうとしている。私の知人は、65歳で起業の道を選んだ。長い間米国で商社の仕事をしていた。日本に帰国して子会社の社長職が用意されていたが、そのオファーを断り、自分でビジネスを始めることにしたという。
彼には、やりたいことがあった。子会社の社長職を受けても自分がやりたいことはできない事が分かっていた。もう、お金よりも自分がやりたいことに価値を見出していた。今も彼は、米国と日本を行ったり来たりした仕事をしている。
もう一人の知人は、65歳まで第二のキャリアとして年次契約更新の仕事をしていた。65歳という年齢の壁を予期して自分の経験を活かす中小企業の営業支援コンサルティングを始めた。もう、1年が経過したが立ち上がるのが難しいらしい。まだ、お客が見つからない。最初のお客を見つけるとどこにお客がいるかが分かってくる。
生きがいは他人が与えてくれない
シニアの生きがいは、その人自身で見つけるしか無い。他人の生きがいを見て真似することは出来ない。生きがいは、自由になった自分の時間を満足がいくように使う時に感じると思っている。自己満足の世界だ。生きがいという言葉は、抽象的で雲をつかむ様な感じである。これが生きがいだといえる人は幸せな人である。
私の生きがいはと自問自答してみる。
いつも一人で仕事をしている生活が14年間続いている。One Man Businessが自分の性格にあっているためか苦痛ではない。自分でお金を稼げる仕事を持っている。それが生きがいなのかもしれない。より自分の生活にあう仕事形態にする努力をしている。
仕事は自分の人生を形作っている。自分で始めたビジネスであるから面白いし、工夫が出来る。リスクはどんな生活をしていても同じであるのでどうせ同じリスクを取るならば、自分が作り出したビジネスのリスクを取ったほうが満足が行く。65歳になった今、会社組織に入って仕事をしたいとは到底思えない。
一度鳥かごから放たれたカナリヤは二度と鳥かごに戻らない。自由な空と外の世界に生きがいを見つけたからだ。
結論
60歳を過ぎたシニアは会社を卒業した時点で新しい生きがいを見つける必要がある。60歳で転職が出来たとしても時間の問題で会社組織から卒業することになる。他人が提供する仕事は自分の自由にならない。生きがいは自分で見付け、作り出す必要がある。私にとって起業は新しい生きがいを作り出してくれた。