世間では70歳も80歳もすべて「老人、高齢者」というラベル貼りをする。73歳であろうと88歳であろうと老人である。本人はそう思っていないのだが、世間の人は老人という言葉を押し付ける。
自分の年齢を意識した生活は考え方や感じ方で制限を作る。70歳以降の人生は最後の自由を楽しむ時期になる。私達は生まれてから学校に通い始めるまで自由に遊びを楽しんだ。遊びながら生まれ出た世界の事をちょっとづつ自分で学んだ。好奇心が新しい体験と発見で知識をもたらした。そこには学ぶ楽しさがあった。
年齢を意識すると自然とその年齢のイメージで自分の行動を制約し始める。老後は自分の時間を自由に楽しむのが命題になる。自由を制約する考え方は老後の楽しさを半減させる。
例えば、こんな女性写真の後ろ姿に好奇心を私は抱いている。
好奇心
- ヒップの形をうまく表しているパンツはどこのメーカーが作っているのか。
- タイトなパンツ姿はなぜかセクシーに見えるのか。
- 男性も同じような後ろ姿を作り上げられるのかどうか。
年齢が世間体を押し付け自由な行動を制約する
70歳だからそんな服装は似合わないとか、70歳だからそんな所に行くべきではないとか、70歳だからそんな事をすべきではないとか、年齢で自分の行動を制約してしまう。世間体は時代の変化に従って代わっていく。昭和生れの世代は世間体を気にする時代で育った。今の世代は「多様性」という感覚が世間体の中に入り込んで人それぞれという自由の選択肢が含まれている。
昭和時代の教育と社会常識で育った私達の世代は自分独自の価値観で余生を送るのが難しい。それが出来るシニアと出来ないシニアがどうしても生まれてしまう。
世間体を気にせず、自分の好きなように生活する人
性別を気にしない服装をする若者が増えている。性別で服装を選ぶのではなく自分の感覚で服装を選ぶ人たちである。私はユニクロで買い物をする。ユニクロのオンラインショップでは男女兼用の商品がある。その延長線上で男性が女性のジーンズを購入したり、女性が男性のジーンズを購入したりしている。彼らには昭和時代の世間体の影響を受けていない。自分の好みで着る物を買う。それが今を生きる若者たちの感覚である。
私もそんな感覚で自分に都合の良い製品をユニクロで買う。例えば、下着類などは筋トレで履くパンツ。エアリズムシームレスショーツ/ヒップハンガーを使っている。汗をかいてもすぐに乾き、局部をブラブラさせないでサポートする。
ジーンズも女性用にしかない色やスタイルがある。サイズさえ合えば男性でも履ける。自分に都合の良い物は性別に関係なく使ってみる。マフラーや財布も性別感覚で作られているが、気にしないで使って見ることである。
興味を持ったら世間体を気にせずに試してみる。70歳を過ぎたら自由な時間を自分好みに使う。場違いな所に行ってもそれが自分の興味の対象であれば問題ないと思う。例えば、若い女性が集まるヨガ教室。若い女性に囲まれて若いエネルギーを貰うために行く。興味を引く女性を見つけたら食事に誘ってみる。もう一度、若い頃に戻る。ひとり暮らしをしているシニア男性はそんな試みが出来る。
私は最近若い女性のおしり姿に興味を持ち始めた。ウエブ上で検索をすると色々なおしり姿の写真が出てくる。誰もが皆魅力的なおしりを授かっていない。お尻の形は人それぞれであるのが分かる。私の好きなおしりタイプはこれ。タイトなパンツを履いている若い女性の後ろ姿は何故か魅力的。
周囲の評価を気にして、世間体良く生活しようと努力する人
周りの目を気にしながら生きる人生は窮屈。人間関係でストレスを感じる。組織で働く多くの人たちは周りの目を気にしながら他の人達と違ったことをするのを避ける。会社員の殆どがそんな生活環境で長年過ごしている。定年退職後もその習慣から離れられないシニアがいる。
多くの定年退職者たちは周りの目から開放されるのだが、それは会社組織という範囲だけである。残りの人生を隣百姓のように世間の物差しから外れないようにしている。
私は妻に70歳を過ぎたらショッピングモールにあるスーパーマーケットでカート回収のアルバイトをしたいと言っている。家内の返答はみっともないのでやめて!である。近所の奥さんたちに見られたら私が恥ずかしいと言う。私の反論は、70歳過ぎた老人だから近所の奥さん方に見られても大した問題にならない。皆さん、年金生活をしているので彼女らの旦那も遊ばせないで働かそうと思うに違いないと。
やっと会社組織の監視から逃れて自由を得たシニア男性はまた世間体という見えない監視で心の自由を奪われたくないと思っている。
私は世間体を気にせずに好きなような生活をする人
69歳で肉体改造を目指す筋トレを続けている。老人は体形が崩れる。肥満体か、枯れた体のイメージが頭にある。決して筋肉質の体格をしていない。老人は老化で自然に筋肉量を減らして行く。私はその流れを逆行する体を作り上げたい。筋トレを続けていると他人が自分の肉体の変化を教えてくれる。
先月、静岡にある実家に墓参りに行ったときの事である。10年ぐらい顔を合わせていない親戚夫婦と実家で出会った。お互い同年代で70歳前後である。彼らが私の体格を見て驚いた顔をしていた。私自身は体格がそれほど変化したと感じていなかったが、10年ぶりに私の体を見た親戚夫婦にとってはその変化に驚いていた。
Tシャツとジーパン姿であったので逆三角形の体格と胸筋の盛り上がりが出ていた。69歳のシニアの体格でないという印象である。この体格を80歳過ぎまで維持したい。年齢に合わない肉体を筋トレで作り上げたい。
シニアが筋トレを始めると怪我をするからやめないという人が出てくる。筋トレには色々なやり方がある。怪我をしない自重を使った筋トレもある。自分の体重を使って体力と筋力が身についてきたらスポーツジムで重量を使った筋トレに入るのがシニア向けである。
定期的に運動をするシニアには健康な人が多い。筋トレは老化で自然消滅していく筋肉を予防する一つの手段である。健康意識が強いシニアは食事内容と運動に目が行く。私は普通の生活が続けられる体力と健康を求めている。それを可能にする方法が筋トレである。もう筋トレは趣味になっている。週2回の筋トレをしないと体の調子がおかしくなる。
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結論:
自分の年齢を忘れた生活を送る。70歳だからそんな服装は似合わないとか、70歳だからそんな所に行くべきではないとか、70歳だからそんな事をすべきではないとか、年齢で自分の行動を制約してしまう。残りの人生を楽しみたいならば、世間体や年齢の常識を忘れて行動を起こしてみてはどうか。新しい刺激が楽しさを呼ぶ。