老後の生活に貯めたお金、その使い道は? - シニアの仕事、健康、筋トレ、暇

人生を逆から見て何歳までに貯めたお金を使ったら幸せを感じるかを考えてみた。

80歳代以降は身体的制約で若者が楽しむようなお金の使い方はできない。旅行、食事、スポーツ、趣味、自動車などで楽しもうと思っても体力や健康面で制約がある。お金があっても使えない体になる。

70歳代は健康面で個人差が大きくなる。生活習慣病や免疫力低下、体力の衰えで積極的に残りの人生を楽しむ機会が減少する。筋力の衰えで長期間の旅行も出来なくなる。持病を考慮しながら食事をする。自分の体の状態を気にしながらお金の使い道を考える年齢になる。

60歳代は健康面でも精神面でも普通の生活が維持できている。肉体的にまだ若いという認識もある。やりたい事があれば、何でも出来る。自分の余生を考えると老後の生活のためにお金を稼ぎ、貯めなければならないという意識が強くなる。

お金には賞味期限がある。賞味期限は老化による身体的な制約で決まる。お金は使うことで意味を成す。お金を持っているだけでは幸せを味わえない。幸せを感じられる体でいる間にお金を使うべきではないか。

お金は使って幸せを買う

収入が年金しか無い老後の生活は貯めた貯蓄がどれだけあるかで生活レベルが決まる。年金だけで生活が成り立っている高齢者にとって貯蓄は有料老人ホームに入居するための資金と心理的な安心材料になる。

年金収入だけで生活ができないシニアにとっては貯蓄は生活補填金になる。生きる年数によって必要な生活補填金額が変わる。いつまで生きられるかは誰も分からないので何歳まで生きるという仮説を立てて貯蓄をすることになる。

ただ、問題なのはお金の使い方である。貯蓄のために老後の生活を我慢する。余生を楽しめる年齢であるのにお金を使うことに躊躇するシニアたちが多い。お金を貯めていれば安心という心理が強すぎるとお金を使って楽しむという機会を失ってしまう。

老後にお金を使って楽しむためにはどのような使い方があるのだろうか。

健康で体力がある時が一番楽しい「旅行」

「旅行」は年金生活に入った後に誰もが望むお金の使い方である。前提条件は健康で体力があり、旅行に行くためのお金があることである。この前提条件を満たす年齢は60歳から70歳代になる。

旅行にお金を使うをタイミングを知ることである。健康と体力は年齢とともに衰えて行くので年齢が80歳を過ぎた頃に旅行にお金を使っても楽しめる度合いが違う。私達夫婦はまだ60歳代である。健康も体力も問題がないので機会がある度に旅行に出かけている。

ドライブ旅行、バス旅行、鉄道を使った旅行、飛行機を使った旅行。交通機関を問わず旅行先に合わせている。安い旅行を計画すれば体力が要求される。快適な旅行ならば旅費が高額になる。

旅行は疲れるのでその負担に耐えられるだけの体力がないと楽しめない。旅行にお金を使うならば60歳から70歳代のうちである。お金が十分貯まって安心材料が出来てから旅行に行こうと思っても体と健康がついて行けない。そんな事にならないことである。

今年の3月末に夫婦で4泊5日の九州旅行に出かけた。羽田空港を朝8時30分に出発するフライトに乗るため朝6時30分頃起きることになった。目的地の長崎に2泊して街なかを歩き回った。1日10キロ以上歩いて観光スポットを訪問した。長崎から佐世保経由で博多に高速バスで移動。佐世保駅周辺を4時間ぐらい歩き回り、佐世保バーガーを味わいながら夕方博多行高速バスに乗った。

博多で二泊して太宰府まで足を伸ばした。兎に角、毎日10キロ以上歩く旅行で移動が多かった。自分で計画した旅行であるのでパッケージ旅行と違って快適さはないが自由があった。もし、70歳代であったらパッケージ旅行を利用していたかもしれない。

今買いたい物を「買う楽しみ」

60歳、70歳、80歳と老いてくると物で満たされる。むしろ、断捨離を意識する生活になる。そんな状況で新しい物を買うとなると特別な欲求がないと買えない。無駄をなくした賢い買い物をする必要がある。

私は仕事の道具であるモバイルパソコンを買い替えている。価格的に5万から10万円以内のパソコンになる。パソコンは3年から5年で腐り始める。OSが新しくなり、ハードウエアも技術的に一新される。時代の流れに乗らないと仕事ができない場合があるので仕事の道具は躊躇無く買っている。

頻繁に使う物は消費されるので買い替えが生まれる。それら以外のものは趣味関連の物になる。心から欲しくなる物は買ったほうが良いと私は思っている。趣味と健康維持のために筋トレを週2回やっている。筋トレで着るTシャツ、ショートパンツなどは消費するので買い替えが発生する。単価的に高いものではないので欲しいと思ったら買って使っている。

節約生活に入ると何でももったいないからと物を溜め始める。物が増える理由がここにある。消費するものであれば捨てることが出来るが、その対象でないもので「もったいない」からという理由で持ち続けるのは考えものである。

買いたい物は使う物である。買う楽しみは買ってから価値が出る物でなければ意味がない。

時間とお金を投資し続ける「趣味」

趣味があるシニアは幸せである。何かに没頭しそこから喜びを得るのが趣味ではないか。65歳、70歳を過ぎると暇な時間が増えてくる。暇な時間を有効に使う手段として趣味がある。

私の趣味はスポーツジムでやる筋トレである。もう20年以上続けている。筋トレで色々な費用が発生する。スポーツジムの利用料金、室内用スポーツシューズ、上下のスポーツウエア、サポーターパンツ、トレーニングベルト、筋トレグローブ、水分補給用マイボトル、FitBit時計、タンパク質の多い食事とビタミンやミネラル健康食品など。

健康寿命を伸ばす意味で週2回各2時間と筋トレ関連費用が発生する。そのお金は私にとって価値がある。もし新しい趣味を始めるならば、70歳代前半までに始めるべきである。好奇心、情熱、気力が老いるに従って薄れて行くからである。趣味は続けないと趣味にならない。

これは食べてみたいと思う「料理」

老いると五感機能が衰えてくる。味覚もその一つである。食べてみたいと思う料理は味覚機能が衰える前までに味わうべきである。私は旬の果物を必ず食べている。過去に美味しいと思った料理はその料理が出されるレストランに何度も出かける。美味しい料理は美味しいと言う喜びを味わえる。

毎日美味しい料理を食べるのではなく、月に1回、今月はこの料理を食べてみたいと予定表に書く。普通の生活が出来る健康と体力があれば、いつでもどこでも好きな時にその料理が提供されるレストランまで行ける。

全国食べ歩き旅行などを計画しても良い。東京や横浜で食べられないローカルな料理が全国に沢山ある。そこだけでしか食べられない料理である。味覚が衰えて、体力も落ちた状態で美味しい料理は楽しめない。

どうせお金を使うならば、美味しい料理を楽しめる味覚機能があり、その料理が食べられる場所まで行ける健康と体力がある時にお金を使いたい。

新しい事を「学ぶ楽しみ」

新しい事を学ぶならば、好奇心、情熱、気力がまだ薄れていない精神状態の時に始めるべきである。知らない事を知る喜びをそのまま感じられるのは脳が活発に働いている年齢の時である。

68歳の私は新しい事を学ぼうという関心が薄れてきている。口から出る言葉は「面倒だ」である。4歳の孫を見ると何もかもが新鮮で新しいため何でもやってみようとする。新しい事を学ぶのが楽しいのである。それが出来る、出来ないは考えないでやって見て結論を出している。

新しい事を学ぶのは楽しい。出来ない事が出来るようになる事も楽しい。四歳児の孫のように新鮮な感動を味わえる。70歳になってからと言わず、60歳代から新しい学びを始めるべきである。

お金はそんな学びに使う。料理ができないから料理学校に通う。パソコンが分からないから、パソコン教室に通う。ピアノが弾きたいからピアノの個人教授を受ける。私の家内はピアノを個人的に教えている。最近の傾向として、子供よりもシニアにピアノを教える機会が増えている。

何かを学びたいと思ったら直ぐに行動に移したほうが良い。意欲がある時に始めないと消え失せてしまう。

好奇心と欲求を満たす「体験」

私の好奇心と欲求

1.スーパーのカート回収アルバイトをやってみたい
2.電動キックボードを買って広い公園を乗り回したい

今の所この2つしか心に浮かんでこない。人それぞれ他人や伴侶に言えない好奇心や欲求がある。体験してみたいという好奇心と欲求は子供の心である。そんな体験ができる事にお金を使いたい。

孫に女の子がいれば、その孫が高校生ぐらいに成長した時にデートをしたい。娘がいればそれが出来たかもしれないが息子たちだけである。息子の嫁とデートという訳にはいかない。

パパ活などはお金が絡んでいるのでつまらない。純粋な気持ちで孫の女子高校生と一緒に時間を過ごしたい。世代が違う若い女性は何を思い、求め、考えているのかを孫も口から直接聞いていみたい。

実現不可能に近いが欲求はある。

妻と一緒にいる時間を楽しむ「活動」

生涯を共に生活をする伴侶は掛け替えが無い。定年離婚をする夫婦もあるが、老いてくるとお互いに依存し合う弱者になる。今までできていた事が出来なくなった時に伴侶がそっと助けてくれる。以心伝心が通う夫婦であればあるほど生活の依存度は深い。

還暦を過ぎればどちらかが病気で他界するリスクが増えてくる。死ぬまで一緒ということは望めない。一緒に入られる間にお互いの時間を楽しめるようにお金を使いたいと思うのは私だけではない。

一緒に時間と行動を共有する活動に価値が出てくる。それが旅行であったり、外食であったりする。私達夫婦は2つの点で時間を共有してる。

1.旅行はいつも一緒
2.週末のどちらかは必ず公園を散歩しながらお弁当を買ってランチを食べる。

旅行にしても公園散策にしても歩きながらおしゃべりをしている。会話をしながら馬鹿話をして笑う。楽しい時間を夫婦で共有するのである。そんな機会を作り、お金を使う。

結論:

お金には賞味期限がある。折角貯めたお金を使わないで老人ホームに入る、他界する老人が多い。お金があれば安心という考えで使わずに来たお金である。残されたお金は家族に相続される。本来は自分のために使うお金である。

実は60歳代が一番稼いで貯めたお金を「幸せを味わうために使える年代」である。老人ホームに入るために貯めなければならないとお金を貯めるが将来はどうなるか分からない。老人ホームに入らずに他界する場合もある。自宅で最期まで生活ができて、他界するかもしれない。

60歳代は自分の老後のためにお金を貯めなければならないという固定観念があるためお金を有効に使えない。お金を貯めて持っていれば安心であると思い続る。それは反面正しいが、お金を使って幸せを買う機会を失う。

老いた体ではお金を使って楽しむ事が出来なくなる。お金の賞味期限は身体と精神面の老化に依存する。

 

 


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my profile pictureこのページのシニアライター:Norito H.Yoshida

Profile

Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.

シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。