暇な時間をシニアはどう使うべきか? - シニアの仕事、健康、筋トレ、暇

定年退職をすると多くのシニアは、自分で何かをやっていかないと自分自身が崩れて行ってしまう恐怖に駆られる。経済的な問題以上に精神的な問題が大きくのしかかってくる。精神的な問題とは、残された人生という時間である。会社勤めの頃は、会社がやるべき仕事を自動的に与えてくれた。それをやっていれば、給与がもらえ働く場所もあった。名刺を持って社会とつながっていた。

会社を離れて一人になった今、次にやるべき事ややりたい事があればそちらに向っていける。何をやったら良いかわからないシニアは暇になった時間をどう使うかで迷い始める。この迷いは65歳で年金を頂き始めたシニア皆に共通するのではないか。

老いてくると物が欲しくなるというニーズよりも与えられた時間をどう使ったら良いかの方法に目が行く。毎日が日曜日という老後の生活は精神的な苦痛になる。何もやることがない=社会の中の存在感が失われる。暇なシニアはそんな存在に成りがちである。

これからの身の振り方を自分で決める。頭で考えるよりも行動で考えるべきではないか。

名刺と居場所がない年金生活:やりたい事が見つからないシニアは多い!

名刺がない生活は自分の社会的立場がない生活になる。無職というタイトルがついて回る。会社に自分の時間を束縛されない自由が与えられる一方で自分の事は自分で決めて今後の人生を過ごして下さいとなる。

やりたい事がない定年退職者にとって「自由な時間」は自由という牢屋に入れられているのと同じ。残された時間の使い方が分からない。自宅にいれば妻にいやがれる。外に出て行ってと言われる。外に出ても何処に行けば良いかも分からない。経済的に問題ない定年退職者は、半年ぐらい旅をしたり、本を読んだり、ゴルフをしたりして今までの欲求を満たすのだが、すぐにやることが無くなって息詰まる。

時間を無駄にしないで何らかの挑戦をする

新しい生きがいを見つけることになる。長年やり続けていた趣味をビジネスに展開するとか。日本を飛び出してシニアボランティア活動に参加するとか。自分が今までやりたかった事を具現化する行動に出る。良く分からないがちっと深堀りをしてみたいという分野に足を一歩踏み込む。そんなチャレンジをすると足がかりが見つかる。

これが出来ないシニアは定年退職後に遊び始める。いったん遊び始めると直ぐには生産的な社会活動に戻り難くなる。遊ぶだけでは1日という時間、1週間という時間、1ヶ月という時間、1年という時間を上手く使えない。ただ、時間だけが過ぎて行く人生になる。

私が参加している経営支援NPOクラブには会社での経験と知識を社会でもう一度生かせる場を見つけたい人たちが、新しい生きがいを求めて集まってきている。平均年齢が72歳である。NPOの活動に生きがいを感じている人たちが多く、目は輝いている。頭の回転も速くなり、新しい名刺をもらい定期的に顔を合わせる場で何が自分にできるのかを見出している。同年代の新しい仲間ができ、会社にいた時のように色々な社会情報が仲間から伝わってくる。

他人に頼らないで自分の足で目的を持って歩き始める

社会との接点を失うと人間は活力を失う。世の中が自分の存在を無視し始める。孤独が襲い始める。何事も興味がわかなくなる。鬱になり痴呆症が発生し始める。新しい事をやらない人はプラスよりもマイナス思考になる。そうならないようにするには目的を持った生活を始めることである。

目的のある第二の人生は遠くを見て探すのではなく、自分の足元を見て転がっているヒントを探すと見つけやすい。自分が抱えている問題、家族が抱えている問題、日頃思い悩んでいることなどをどう解決すれば良いかなどを考えてみることである。

自分の今の人生が「毎日が日曜日」であるならば、アルバイト・パートを始めて見る。働くことで社会との接点を作ってみる。そこでの経験が次のステップに繋がるはず。何かが落ちてくるのを待つ姿勢は暇を増やすだけだ。お金を稼ぐということに重点を置かないで新しい労働体験を味わいながらその先に何をしたいかを探す。

自分のスキル、知識、経験をインターネット経由でアピールすることであなたのリソースを求める会社や人たちが現れるかもしれない。まずは自分の存在価値を売り込むブログサイトを作ってみてはどうだろうか。自発的に動き出すとそれに同調する人たちが現れやすい。ソーシャルメディアのFacebook、Twitter、Youtube、インスタグラムなどを使っても良い。とにかく、自発的に自分という存在を社会に売り込む行動が必要になる。

自分を社会に売り込む行動をしていれば、自然に暇な時間が少なくなってくると同時にその行動を正当化する目的ができてくる。自分は今の社会に必要な人物であるとアピールすることで自分のリソースを活用したい人達が出てくるからだ。アピールする内容を魅力的にする家庭でまた新しい目標が生まれてくる。暇はどんどん無くなっていく。

暇な時間を終活準備に使う

メルカリに登録をした。妻の両親が老人ホームや老健施設に入居しているため実家にある不用品をメルカリで処分しようとしている。ついでに我が家にある余分な物品も出品したい。後で使うかもしれないと思って残しておいた物品が一度も使われないで物置の中においてある。思い切って「後で使うかもしれないという物品すべて」をメルカリに出すことに心が傾いている。

書籍類は最初に処分するアイテムになる。自宅の本棚でスペースを取っている。何度も取り出して使った形跡がない。こんな書籍はメルカリで処分して誰かに使ってもらったほうが社会のためになる。出品して売れるようにするにはどうしたら良いかなどを調べたりする時間が生まれる。それ自体が面白くなる。

定年退職後の生活で物を増やすのではなく、少なくする方向が意味ある余生になるのではないか。他界するときに物品がたくさんあると残された家族に負担になる。出来るだけ必要なものだけにしてこの世を去る。そのための終活準備である。

結論

お金ではなく暇な時間をシニアはどう使うべきかを考えたとき、私の答えは自分という存在を今の社会に売り込む行動を取るという事である。自分の人生は今の社会に役に立つとアピールすることでそのリソースを求める人がやってくる。アピールする内容が貧弱であれば、内容を濃くしてもっと魅力的にする行動を取る。それが暇をなくして行く。

自分の存在を社会にアピールする時はインターネットのメディアを使う。ブログサイトを作ったり、ソーシャルメディアのFacebook、Twitter、Youtube、インスタグラムなどを使って役に立つ情報を発信する。そんな活動を続けるうちに新しい学びと関心事が生まれてくる。そして、第二の人生が始まる。

 


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my profile pictureこのページのシニアライター:Norito H.Yoshida

Profile

Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.

シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。