老人が住む世界はどんな世界であるか? - シニアの仕事、健康、筋トレ、暇

学生時代は、月曜日がブルーマンデーであった。会社員の時も同じだ。金曜日は、全く逆で翌日が土曜日で休みなため解放感で興奮気味になる。週末の休みは、学校や会社からの制約が無い。

64歳の私には、もう、学生や会社員と同じ感覚が無い!

学生と会社員を卒業し、社会の組織からの制約を受けない生活をしているからだ。自分で生計を立てながら生きているビジネスマンだ。自分の行動はお客さんしか制約できない。今にお客さんの制約からも解放されるかもしれない。

金曜日と月曜日の違いが分かる、分からない老人たちがいる

私の仕事は、「お客さん有りきのビジネス」から「Googleさん有りきのビジネス」にシフトし始めている。「Googleさん有りきのビジネス」では、インターネットに接続できる環境とパソコンがあればビジネスは成立してしまう。

シニアノマドワーカーは、曜日の違いによる感情の変化を味わえなくなる。金曜日だから、どうなんだ?という気分だ。デートする相手もいない。自宅に帰れば、妻がいる。土曜、日曜がお休みになるわけでもない。

インターネットでの仕事は、国境、場所、時間、人種、年齢の影響を受けない。全て自分次第だ。仕事をする気分になれなければ、仕事をしないで好きな事をする。そんな自由がある。

曜日に影響される生活や仕事環境がシニアには無い。私はまだ仕事をしているから世の中の変化に敏感になるが、仕事をしていない引退したシニアならば、世の中がどのように変化しようが関心を示さない。

世の中とのつながりを失った老人は、自分が作り出す世界に閉じこもる。自分の存在自体が社会で意味をなさなくなる。意味を成し始めるのは、介護される立場になった時だ。

そして、

あの世に旅立つ時が来た時だろう。

老人になる道は、赤ちゃんが生まれて成長していく道と逆だ。こんな映画を過去に見た事が有る。

「ベンジャミン・バトン/数奇な人生」

老人は赤ん坊になるのだ。私も介護施設にお世話に成り、おしめをする生活が始まるかもしれない。老いて来るに従い自分の世話が出来なくなる。そうなる前に私は他界したいのだが、他界できなければ運命に従わざるを得ない。

金曜日の朝、月曜日の朝で感じ方が違うシニアは、若い人たちとは違った生活を送る。それが老後の生活だ段々と世の中の流れとは別な時の流れの世界に取り込まれて行く。

老健施設で生活をしている義母は、世の中の流れをテレビと新聞、そして、私たちの訪問時に聞く雑談でしか外部との接点がない。自分で世の中の情報を取りに行けない。車椅子の生活は、行動範囲を老健施設内に留める。

時代と言う時の流れの中で生活をしたければ、仕事をすることだ。生涯現役のビジネスマンでいれば、現実の世界の中で生活が続けられる。

土日の休日を楽しみにする生活を送るには会社組織の中で仕事を続けることだが、年齢が70歳ぐらいになると雇用してくれる会社もなくなる。自分で会社を設立して経営者にならなくてはだめだ。

誰かを雇用すると嫌でも曜日の違いによる影響を受ける。幸運にも私は一人社長であるので雇用する人はいない。それでもビジネスが成り立つようにしている。

老人は、一人社長で仕事をしたほうが良い。突然他界しても社員を路頭に放つ事が無い。責任は、自分にしか落ちない。

この記事「老人が住む世界はどんな世界であるか?」のポイントは、

  • 老後の生活には、金曜日と月曜日の違いが無い。
  • 曜日感覚を失い始めると別世界の入り口に近づく。
  • 時代と言う時の流れの中で生活をしたければ、仕事をすることだ。

 


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my profile pictureこのページのシニアライター:Norito H.Yoshida

Profile

Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.

シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。