結婚をしない人、結婚できなかった人の老後はどうなるのだろうか。人生100年になる現代、長生きをすると知人や親せきが先に消えていく。結婚して子供がいて、孫がいれば、自分の最期を看取ってくれる家族がいる。結婚しないで年寄りになって行く人は、自分の老後をどうしようとしているのだろうか。
そんな疑問が義母が入居している老人ホームで面会している時に頭に浮かんでくる。義母は、恵まれている。子供、孫、ひ孫までいる。彼女の最期を看取ってくれる家族が大勢いる。
若い人たちは自分の老後のことを考えることがない。今を楽しみたいと思って遠い未来を見ていない。彼らは今の生活がずっと続くと思い込んでいる。現実はその逆であることを認識していないというか、考えようとしていない。
結婚しない、出来ない理由は色々あるし、個人差が大きい。自分にあった伴侶を見つけるのは誰にとっても難しい。運命の赤い糸で結ばれるしか無い。結婚したくても相手が見つからない。そんな若者も多い。ただ、意識して結婚をしないと思っている若者は自分の老後のことを良く考えて今から準備をしたほうが良い。老いて来るとその理由が周りから自然と伝わってくる。その時になって対策を取ろうとしても時すでに遅き!
孫は結婚して自分の子供がいないと生まれない。自分の子供が結婚して子どもを産めば孫を持てる。現実は、子どもを産めない夫婦が増えている。孫を持つには2つの壁を乗り越えないと持てない。子どもの結婚と孫を産むという壁である。この2つは誰もわからない。「運」である。
幸運にも私たち夫婦は二人の子供に恵まれ、長男夫婦に3人の子どもが生まれた。次男はまだ独身でいつ結婚するのか分からない。できれば、結婚してほしいと願っている。相手がある話であるので「運を天に任せる」しかない。
子供や孫がいると生きがいと安心感が生まれる
私の次男が義母のお見舞いに何度も行ってくれている。孫の訪問は年老いた老夫婦に幸せ感を与えている。若い人たちとの接点がほとんどない老後の生活は、面白くないし、寂しい。私たち夫婦は若いとは言えない。一世代若い孫たちは、祖母たちに若さというエネルギーを与えてくれる。
時間とともに義母はこの世界を旅立つ。その時までに子どもたち、孫たち、ひ孫たちが老人ホームにやってきて顔を見せるだけでも精神面での安らぎを与えてくれる。自分の存在を知っている子孫がいる。それだけでも気持ちの面で違いが出る。
老いてくると身内の存在が安心材料になる
老いて来ると他界する人が増える。友人、知人、親戚の葬式が自然と身近になる。すべて私や両親の世代の方々である。これからは私の世代の人が他界していく。子供や孫がいると身内の生存で自分よりも先に他界する人が少ない。誰かが私を見ている。子供や孫がいない老人は長生きをすればするほど自分を見守る人がいなくなる。
身内がいるひとり暮らしの老人と身内がいない人では精神的、物理的に問題を抱えることになる。困った時に身近な身内に相談が出来ない。老いれば老いるほど生活面で問題を抱え始める。以前のように自分一人で身の回りのことができれば問題がないが、出来ないことが徐々に増えていく。
自分の子孫がいるということは心細い時に安心感を与えてくる。子供や孫の声を聞くだけで孤独という不安を一掃してくれる。自分の子孫は自分の生まれ変わりと同じ。自分の遺伝子を引き継ぐ。
孫の成長の過程で性格や個性が自分と似ていると気づく時がある。自分が遺伝子を通じて生まれ変わってきていると思う。今の個体は消えていくが、孫の個体はこれから成長し続ける。
孫の成長が見れると言う喜びがある
昨年、3人目の孫が生まれた。私が80歳になる頃に彼女は10歳になる。初めての女の子である。女の子は成長する過程でどんどん美しくなっていく。高校生ぐらいになれば、私がデートで誘える。それまで生きていればの話だが。孫の成長過程は変化が激しい。その変化が楽しみである。
私はどんどん年寄りになり、孫は大人に成長していく。孫の成長に若さを感じ取れる。こんな楽しみ方は子供や孫がいないと楽しめない。お金では買えない。長生きができれば、こんな楽しみ方が出来る。孫たちと活発に楽しむためには普通の生活を維持できる身体がないとだめである。筋トレを続けて体力と筋力を強化していくしか無い。
80歳以上になっても孫たちと普通に遊べる体を身につけたい。老後は何を楽しむにしても「体が資本」になる。
孫に何かを教えられる
この夏に長男の夫婦の第一子、小学1年生の男の子、が我が家にお泊まりに来る。 我が家でのお泊りは初めてになる。こちらも小学生を迎いいれるのは初めてでどのように対応すれば良いか定かではない。最初であるので父親と一緒にお泊りとなる。慣れない家で泊まるのは誰にとっても緊張する。それに同じ年齢の子供はいない。おじいちゃん、おばあちゃん、父親の3人になる。
子どもの遊び道具はないので昼間は近くの3つの公園で遊ばせるしか無いかも。 夜はプライムビデオで子供受けの番組を見させる。フルーツ好きの孫であるので旬な果物を色々と用意しようと思っている。子どもの要望に従って自動車でドライブに出かけても良い。
小学1年生は好奇心旺盛で新しい事をすぐに吸収してしまう。孫の父親(私の長男)の子供の頃の写真でも見せてお父さんのことを色々と教えてあげたい。子供の頃の記憶は後まで残る。同時に私たち夫婦の過去も写真を見せながら教えられる。孫の先祖のことを昔の写真集を見ながら教えられる。おじいちゃんもおばあちゃんも父親も子供の頃があったということを知るのも良い。
知らない世界への探検をこのお泊り会で味わえる。
孫から学ぶものがある
私が小学生の頃の記憶はあまり残っていない。孫と遊ぶことでその記憶が見つかるかもしれない。小学校で何を学んでいるかも知りたい。私達の頃と違って色々と違ったことを学んでいるはず。英語教育も始まっているに違いない。英語ならば私の得意分野であるので教えられる。
子供の好奇心は老人の好奇心を湧き立てるかもしれない。素朴な感じ方や疑問を聞きながらもう一度この世界の事を学び直す機会になる。孫は私たち夫婦の感覚を刺激するカタリスト。子供には私達大人にない新しい物の見方や感じ方がある。そんな事を学べたら良いなあと思っている。
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結論:
人生は不確実の世界である。頭で予測は難しい。将来の伴侶を見つけるのも運次第。運良く一生を共に生活する伴侶が見つかれば幸せである。さらに、子供が生まれればさらに幸せになる。今の世は結婚も出産も減ってきている。そんな時代の流れの中で子供と孫を天から授かったことは幸運としか言うしか無い。
私達の世代は20歳代で結婚するのが当たり前であった。誰もが結婚すると思い込んでいた。そして、結婚すれば子供が自然と生まれてくると思っていた。その考え方が今は通じない。若い夫婦たちにお子さんはと聞くのがタブーになる。30歳過ぎた若者に結婚はいつするのと聞くのも失礼に当たる時代である。
少子高齢化の時代で孫を授かって一緒に時間を過ごせるのはますます価値がある。お金では買えない時間になる。老人が孫から学べる機会が生まれる。お互いに学びあえる。そんな楽しい時間を生きている限り享受したい。