幸せの感じ方は人それぞれ。その人の感じ方で幸せを感じたり、不幸せを感じたりする。他人は、あの人は資産家だからお金で困らない生活をしている。いいなあ!と勝手に思い込む。他人はそう感じても本人は不幸せであると思っているかもしれない。
私の住まいの近くに大規模な高級有料介護付き老人ホームがある。そこに入居できる老人たちは資産家である。月額の生活費だけで100万円以上支払う事になる。そんな老人ホームで生活するシニアたちはさぞかし幸せなんだろうなと私は思う。
私の老後は、老人ホームにも入れないかもしれない。老人ホームに入居出来る、出来ないで幸福の基準が勝手に私の心の中で作られる。入居している老人たちにしてみれば、こんな老人ホームよりも自宅で暮らしたいと思っているはず。幸せはこの老人ホームの生活の中にはないと。
どんな境遇にいようと自分の思い方、感じ方次第で幸福感が変わる。シニアの老後は、老いてくれば来るほど以前の生活よりも悪くなっていく自分の姿を直視する事になる。幸福を感じる機会が多い老人とそうでない老人に分かれる。
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69歳になって10年先の自分がどうなるか不安に思う
60歳代はまだ健康を維持できる。普通の生活が問題なく過ごせる。65歳になると前期高齢者というラベルされる。政府はこれを70歳まで引き上げようとしている。65歳にしても70歳にしても老人になることに変わりはない。誰も老人になることを喜んでいない。老人になる事は不幸の始まりであると考える人が多い。
今の自分の生活を幸福と感じるか、10年先の自分はどうだろうか。幸福の感じ方はその人の感情に依存する。幸せを感じやすい人とそうでない人がいる。私は幸せを感じ難い人に分類されると思っている。妻は幸せをちょっとした事ですぐに感じる人である。いつも、羨ましいと思っている。
幸福は選択であると米国人に言われて理解できなかった私
私は日頃の生活で幸せであると感じる事が少ない。月々の売り上げで幸せ感が上がったり、下がったりする。自分が求める売り上げに達していないために幸せを感じられない。そんな時に米国人が幸福は選択であると言われて理解に戸惑った。
彼女の説明は簡単であった。今の自分が幸せであると思うか、思わないかの選択であると。幸福感はその人の感じ方で決まる。他人から見て不幸な境遇と思われても本人が不幸と思っていなければ、良いだけ。車いす生活の老人を見て不幸な生活を過ごしていると私たちは勝手に思うのだが、本人は現実を素直に受け入れて今の自分を楽しむ事で幸せを感じようとしている。
他人がどう思うと自分が幸福であると思い続けられれば何歳になっても、どんな境遇になっても幸せはついてくると彼女は言う。
自分の人生が幸福であると思うかどうか?
何を基準にして今の自分の生活を幸せであると感じるかどうかである。もし、手元に1億円あれば金銭面での不安は解消される。1億円と言うお金で安心を買える。安心は買えるが幸せは買えない。お金を基準にして自分の幸福感を判断するのは間違いではないか。
俗世間的な物差しで自分の幸せを判断すると死ぬまで不幸せな自分が見えてくる。綺麗な女性を見て、綺麗だなあ!と思う。その時、綺麗な女性を見れて幸せだと思うかどうか。人や物の見方で感じ方も変わってくる。
自分の人生は幸福な人生であると感じられるならばその人は幸せである。前向きな人、後ろ向きな人で感じ方が違うのと同じである。全ては自分がどう感じるか。
年金だけで老後の生活が成り立つシニアは幸せで、年金だけでは生活が出来ないシニアは不幸であるか。自分の境遇をどう感じるか、どう考えるかで幸せの感じ方が変わると私は思っている。ピンチはチャンスと言う言葉がある。ピンチを不幸と考えるか、チャンスと考えて幸せをつかむ機会だと思うかである。
私の人生で何度か人生のピンチを味わった。今思い出せば、その時はピンチであったがそのピンチがあったお陰で今の生活が出来ている。ピンチはチャンスを後で作ってくれる。そんな経験がある。ピンチだからそれで終わりではない。始まりである。
幸福と思う事で自分の生活が変わって行く
定年退職やリストラで会社を強制的に卒業させられ不幸であると思っているシニアがいる。これをチャンスと思うか、思わないかでこれからの人生の方向が変わってくる。人間ドックで糖尿病の兆しがあると言われショックを受けているシニアがいる。これを機会に健康意識を強め筋トレに励むシニアになるか、ならないかで老後の健康が問われる。
今の自分の生活をどう思うかを見極める。不幸な生活を過ごしていると思っている人は、なぜ、不幸と思っているかの原因を明確にすることで見方を変えられるようになる。
例えば、70歳を過ぎて脚力が落ちてきたと嘆いているシニアがいるとする。足の筋肉や体の筋肉は生活習慣を改善することで回復、成長させる事が出来る。そんな不幸な境遇を改善する解決方法を探して実行すれば脚力が落ちた事で生まれる不幸感は消えていく。
今は不幸に思っているが、何かをすれば良くなると思い、改善する努力をすれば、その効果が見えてくる。努力している過程で幸福感が生まれる。今の生活が暇で仕事もないから不幸であると思うならば、暇をなくす解決案を探して実行してみる、または、パートやアルバイトで暇をお金に換える試みをしてみる事である。
10年先は80歳近くなる、生きていれば!
80歳は平均寿命よりも若いが、健康寿命より老いている。私は80歳になっても普通の生活が維持できる体であれば幸せである。お金よりも健康。自由に動ける体である。80歳になった時、一つ目標を達成したい。それができれば、確実に幸せ、達成感を味わえる。他人にとってはつまらない目標であるが、私にとっては達成感という幸福感を味わえる。
- 80歳になったときにベンチプレス80キロを挙げられる筋力・体力を維持すること
普通の80歳男性ではベンチプレスで80キロは到底挙げられない。筋トレを続けて体を鍛え続ける必要がある。実際に80歳で私の目標を達成しているシニアがいる。努力すれば決して無理ではない。普通の80歳男性が出来ないことをするという目標がある。そのために週2回スポーツジムに通っていると言っても過信ではない。
幸せを感じるか、感じないか。幸せを感じる機会を増やす努力をすれば、他界するときに幸せであったと言えるのではないか。
結論:
幸福は選択であると言われて戸惑った私。米国人の説明では、幸福である、ないはすべて自分の感じ方次第であると教えてくれた。確かにそうである。当たり前すぎるほど当たり前。問題は何をもって自分は幸福であると心に思わせるかだ。
貧乏な人でも今の自分が幸福であると心が思っていれば、幸福なのである。その人にはそう思わせる考え方やモノがある。老後の生活で必要なお金が不十分であると思い続けると今の自分は不幸な状態にいると心は思い始める。
自分は何をもって幸福、不幸と思うか。
台風の洪水被害で自宅を破壊されたり、農地の作物が台無しになったり、立ち上がるには莫大な借金が必要になる人たちの心境を考えると今の自分は幸せであると心は言う。台風の被害にあっていないで普通の生活が出来ている自分だからである。
自分よりも不幸な人たちと比べて自分の状態が良いから幸せであるという感じ方が良いか、悪いかは分からない。何を基準にして自分の幸福と不幸を判断するかにかかっている。これには個人差がある。大金持ちでも不幸であると思っている人は多い。
今の自分は幸福であるという基準を見つける事で幸福は選択である意味が分かるようになる。