都会での生活は、お金が無いと回らない。生活コストが田舎と比べて高い。都会の利便性と刺激を求めて高齢者たちが郊外から都会に引っ越して来る。経済的に余裕がある高齢者は、お金で生活を維持できるが、お金が不十分な高齢者は、都会での生活は無理である。

お金が無くなると食べる物も買えなくなる。飢え死状態になる。生活困窮者として都会で生活するのが高齢者にとって本当に幸せなのだろうか。

田舎で食べる物を確保

私は静岡県の田舎で生まれた。実家は、兄が継いで田舎に住んでいる。墓参りで実家を訪問すると食べる物であふれている。食費にお金を使っていないという。全て周りの農家や知人から頂いた物で食生活が成り立っようだ。

食べる物が沢山ある田舎に移住するメリット

田舎生活を体験していない人は、この事実を知らない。田舎のコミュニティーに溶け込んでいないとこのような恩恵に恵まれない。地元の人たちと顔見知りになり、助け合いを経験しないとだめである。漁村に移住すれば、新鮮な魚が無料、または、格安に手に入る。住んでいる地の利というものが田舎にある。食べる物が豊富な田舎に限る。

年老いて年金だけの生活を都会で送ると食べる物で困る場合がある。食べ物が豊富な田舎の生活では、周りの人たちが食べ物で助けてくれる。生きて行く上では、都会よりも環境が良い。都会は、お金が無いと生きて行けない。田舎は、お金が無くても生きて行ける。

発想の逆転で食べ物が豊富な田舎に老後の基盤を作る人がどれだけいるのだろうか。戦時中や戦後の都会は、食べ物で困った。今の都会は便利すぎる。その便利さは、お金で利用できる便利さである。田舎生活は不便で刺激も少なく娯楽が少ない。

だが、これからの時代は、田舎でも生活が便利になる。生活必需品は、アマゾン、楽天、ヤフーなどのオンラインショップが届けてくれる。リモートワークを推し進める会社も増加している。自動運転の自動車もこれから登場する。人間が最低限生きて行く上で食べ物の確保が必要だ。生活の利便性は、その次に来る。

田舎生活を楽しむには田舎にない物を提供する

田舎での生活を楽しむには、住み着く田舎に無い物やサービスを自分が提供できると良い。自然と田舎生活の枠組みに入って行ける。そんな事が出来るシニアならば、食べる物が豊富な田舎を探し、その地域で足りないものを見つけ、自分が提供できるかどうかを吟味する。

田舎で生活している人たちにプラスになるモノやサービスを提供する移住者は、誰もが喜ぶ。まずは、田舎の住民にGiveである。お金が不十分なシニアでも自分のリソースを使って田舎に欠けているモノやサービスを提供できる人たちがいる。

生活コストが下がれば、少ない資金でシニア起業する機会も生まれる。田舎は、住民が気楽に集まり、暇を有意義につぶす場所が少ない。地域住民(多くは高齢者)のための洒落たカフェレストランやカフェサロンなどはニーズがあるのではと個人的に思っている。

カフェサロンの「場」作り

「洒落たカフェサロン X シニアの学びの場」というコンセプトもこれから生まれて来るのではないか。時代に遅れないために新しい文明の利器の使い方を学ぶニーズはあるはずだ。実生活で役に立つ情報は広まりやすい。あのカフェサロンに行けば、分からない事が分かるようになるという口コミが広まれば田舎の生活も面白くなる。

食べ物を作っている人たちとの触れ合いが深まれば、お互い様の関係が自然と生まれてくる。食べる物で困った時は、直ぐに助けてくれる。田舎の強みとメリットを再考して見て自分の老後生活を想像してみる。

結論

貧乏なシニアは田舎生活を検討すべきではないか。都会はお金がないと楽しめない。生きていく上でもお金次第。田舎の良さは食べ物が豊富で安価に手に入りやすい。老人ホームも低料金である。田舎で欠けていることは娯楽や都会にないサービスである。

洒落たカフェサロンや時代に追いつくための学びの場がない。最近話題になるのは天然酵母食パンを作るパン屋さんが田舎で人気を博しているという事実である。田舎にないものを作り、販売する店舗を持ては田舎の住民は都会の良さを味わえる。

都会から田舎に移住する人が田舎の生活で欠けているものやサービスを提供すれば、田舎の住民が喜ぶ。それがきっかけで地域に溶け込みやすくなる。