仕事がない、毎日が日曜日の年金生活。何のために生きているのか疑問。趣味に没頭すれば良いと人は言うが、毎日できない。会社と違って家には同僚も友人もいない。居るのは妻だけ。妻は私を外に追い出す。昔のように朝出勤にして夜帰宅してと叫ぶ!自宅を追い出された私は外に居場所がない。こんなシニアが多いのではないか。

毎日が日曜日のシニアは幸せなのだろうか。

つまらない老後は毎日が日曜日であるからだ!

目標があれば、生活に生きがいが生まれる。年金生活のシニアにどんな目標があるのか。目標は作るもの。1年間に何かを達成したいという物があれば、それが目標になる。

ただ、目標を設定しただけでは面白くない。目標を達成したら「自分にご褒美を与える」という仕組みにすると面白くなる。

目標を達成したら自分にご褒美を与えるライフスタイル

 

毎日が日曜日のシニアは何をしたら良いかが分からないでいる。そんなシニアに目標を作らせることで刺激がある生活が生まれる。一寸した望みを目標に設定する。例えば、

今月の目標: スクワット運動を朝昼晩10回づつ行う
達成時のご褒美: 食べたいケーキを一つ買って食べる

足腰が衰えてくるシニアは医者から定期的な運動をするよう言われる。自分の健康維持を兼ねてスクワット運動を毎日行う習慣を身につける。目標とご褒美があれば、毎日が日曜日の生活に変化が生まれる。

ポイントは達成できる目標を作ることである。大きな目標よりも小さな目標が良い。そのご褒美も豪華なものではなく、ちょっとしたものにする。

毎日が日曜日のシニアは時間が流れるままに自分を流している。受け身姿勢であるので何も刺激が起こらない。自主的にアクションを起こさせると色々な変化が身の回りに起きてくる。

私は今月こんな目標を立てた。スポーツジムで懸垂の回数を1セット10回出来るようにする。この目標はちょっと頑張れば出来る目標である。最近、懸垂は1セット8回ぐらいまで出来ていたから。今日はこの目標を達成した。そのご褒美にランチを豪華にした。

筋トレを週2回やっているが、毎回数値目標を立てている。その目標に向かって筋トレをすると時間の問題で目標を達成してしまう。達成のたびにちょっとしたご褒美を味わうことにしている。主に食べる物になる。

心の中にある欲求を満たすにはどうしたら良いかを目標にする

子供が独立して親元を離れると夫婦だけの生活になる。会社も卒業して今までのような束縛された働き方をする必要も無くなった。自分の裁量で新しい生活のリズムを作れる立場になる。

今66歳の私は後何年生きられるのだろうか。希望は80歳過ぎまで生きたい。それも普通の生活が出来る状態で生きていたい。老人ホームや介護施設の中での生活は御免こうむる。私の心の中には普通の生活をしながら80歳過ぎまで生きたいという欲求がある。

この欲求を将来的に達成できるかどうかは80歳過ぎまで生きてみないと分からない。何が出来るかを考えると一つしか出来ることがない。それは筋トレ習慣で健康と体力を維持することである。筋トレを続けている限り、足腰が衰えて歩行障害になることはない。自分で動けなくなることは介護される立場になるに等しい。

人生はいつも「体が資本」である。

つまらない老後の生活は何もしないことから始まる

毎日が日曜日のシニアは幸せなのだろうか。私は幸せでないと思う。仕事で忙しい会社員時代は毎日が日曜日であってほしいと願った。今は毎日が忙しいほうが良いと思う。昔は自分の時間を会社に労働という時間で売っていた。今は自分の時間を売ることも出来ないし、売る気にもならない。もう人に使われたくないという拒絶反応があるからだ。

会社時代に忙しく働いていた人ほど燃え尽き症候群で毎日が日曜日になっている。何も自主的にやらない生活。自宅でゴロゴロと寝ながらテレビを見たり、本を読んだり、お酒を飲んだりしている。心も体も徐々に死んでいく。何もしない生活は死期を早める。

自分に変化を起こすことで面白い老後の生活が始まる。自分に変化を起こすには今まで経験したことがないことを遣ることである。新しい体験は刺激になる。心も体もその刺激でセンセーションを感じ始める。

つまらない老後を面白い老後の生活に変えたいならば、新しい事に挑戦することである。

結論:

つまらない老後を面白い老後にするには目標を持った生活を送ること。一寸した目標設定で達成したら自分にご褒美をあげる仕組みを作る。自主的に動くことで生活に変化をもたらす。変化は刺激になって心と体にやってくる。余生を楽しみたいならば、新しい経験を味わうことである。新しい事に挑戦することでつまらない老後を面白くなる。