66歳は老人ではないと私は認識している。私の感覚では80歳を過ぎたら老人になる。60歳代、70歳代はまだまだ普通の生活が自分でできる体と精神を持っている。当然、個人差はある。人によって60歳でも75歳過ぎのように見えるシニアがいる。老い方や風貌はその人の生活習慣で変る。

私は週2回から3回の頻度でゴールドジムに通って筋トレをしている。その理由は66歳の年齢に合わない力強い体格を築くためになる。筋トレを続けているとその効果が体格に現れる。体に筋肉がついている、いないだけで他人に与える印象が違う。

違いは上半身と下半身に現れる。懸垂やベンチプレスを続けると肩幅が広がり逆三角形の体格になる。胸に筋肉がつくと胸板が厚くなる。スクワット運動をするとお腹のたるみがなくなる。フラットなお腹で見栄えが良くなる。太ももは筋肉で太くなり贅肉が減る。

髪の毛の色や量は老人に近づくが体格だけは筋トレで若者に近づく。筋トレをやっていない若者はベンチプレスで60キロ以上をあげられない。私は90キロをあげられる。普通の若者にない筋力がある。顔や皮膚はシニアを隠せないが筋肉がついた体格は若返っている。

私の目標は80歳になるまで現在の筋肉を維持してシニアに見えない体格を作り上げることである。年齢に合わない体格を作り上げることが人生の目標になりつつある。体の若返りを筋トレで実践している66歳。

若者の一言で私が老人であると気づく!

夜の8時頃、駅のベンチに座っていた。4人グループの若者一人が、こんな事を仲間に言っていたのを聞いた。

あそこに4つベンチのイスが空いている。老人が一人いるけど。

老人て俺のことか?周りを見ても私しかいない。あの青年は、私のことを言っている。自分は老人なのだ。自分ではそんなことを今まであまり意識していなかった。朝起きたとき洗面所で鏡を見れば、確かに老人の風貌だ。顔には深いシワがあり、肌も薄黒い。シミやイボも見える。頭の毛は薄くなり、そよ風で髪の毛が舞ってしまいそうだ。黒からグレー、そして、白く髪の毛の色が変わって来ている。

見た目は隠せない

私の心の中をあの青年は見渡せない。私の心は、あの青年と同じ年齢だと訴えている。それが何故分からないんだと!こんな事を感じているのは私だけだろうか。多くの人たち(自分を老人であると認識したくない)は、私と同じ気持ちだろう。

体は年老いている。それを自分自身は認めたくない。本当であってもそれは違うと言いたいと。この気持ちをどうしたら良いのだろうか。体は、年寄りだと言っている。それを認めろと言っている。心はそれを拒んでいる。 

家内は、自宅でピアノを子供や大人に教えている。小学1年生の女の子が私のことを覚えていて家内にこう言ったそうだ。「先生の旦那さんはお爺さんだね。」と。確かに小学1年生から見れば、私はお爺さんに見える。隠しようがない。こんな出来事が最近多くなってきている。 

若く見せたい!

精神年齢と体の同期が取れていないと悩まないでも良い悩みが生まれてくる。若くしたい、若く見せたい。若い人たちと同じように付き合えるようにしたいと。 

仕事柄若い人たちが集まるセミナーや懇親会に顔を出すことがある。自分が老人であるという印象がそんな時に意識させられる。それを気にしなければ良いだけだが、そこまで素直な自分に成れていない。全て時間が解決してくれると思っているが、悩みはつきない。 

筋トレを続ける理由の一つは若く見せたいにある。66歳で胸板が厚く逆三角形の体格は年齢に合わない印象を周りに与える。若さを体格で見せたい!

結論

66歳は老人ではない。顔や風貌では年寄りになっているが、体格は鍛えれば年齢に合わない印象を周りに与えられる。筋トレで体に筋肉をつければ若返りが出来る。少なくとも見栄えで若さをアピールできる。これは確かである。筋トレで姿勢を改善できるし、歩行困難も回復できる。筋肉が衰えると不自由な体になる。活発に動ける体は若さを示す。