郊外に一軒家で生活をしていた団塊世代のシニア夫婦が都会に引っ越すをする。なぜ、老後にそんな引っ越しをするのだろうかと不思議に思っていたら、私の家内が横浜の田舎よりも都会で便利な場所で生活をしたいと言い出した。
ああ、そうなのか!都会には便利な環境があるということだね。ここで私の価値観と家内の価値観の相違が生まれる。横浜は平坦な土地ではなく丘陵の多い土地であるため、坂道が多い。普通の自転車では疲れる。電動補助付き自転車でないと坂道を登っていけない。
家内が今の場所を嫌がる理由が丘陵の多い土地にある。最寄りの駅まで歩いて行く道程には山から降りていくという印象を与えている。降りていくのは良いが、帰りは登っていく。これが嫌だと言う。今は自動車を運転することが出来るから良いが、自動車を運転しなくなったら食料の買い出しなどが大変になる。それも気になるようだ。
老後の生活は利便性が女性にとって一番気になるようだ。
終の棲家
都会は確かに色々な場所へのアクセスが便利に出来る。その代わり、自然との触れ合いが少なくなる。元気で動き回れる体があるうちは、騒音と光で騒がしい都会の生活は刺激的で良いかもしれない。老いてくると自然を恋しくなるというのが私の感覚である。
澄み切った空気と森林浴が出来る公園が近くにあれば、私は満足。それが今住んでいる横浜の田舎の生活である。田舎と言っても家内が勝手にラベルをつけているだけ。実際は、横浜駅まで徒歩20分プラス電車で10分で行ける。自宅から歩いて横浜まで行こうと思えばいける距離である。決してど田舎ではない。
女性はすぐに都会に出て新しいお店で目を楽しませたり、新しいレストランで食事をしながらおしゃべりをしたいという欲求がある。男性はそんな欲求がそれほど強くない。
老後の生活は利便性を求める
夫婦にはそれぞれ違った老後のイメージがある。ある夫婦は田舎で農業をしたいと思って長野県に移住した。田舎が良い、悪いの話ではなく、それそれの夫婦が思い描いている場所で終の棲家を探す事になる。
私の家内は都会育ち。私は静岡県の田舎育ちだが米国で青春時代を過ごした。そんな二人だが、横浜はちょうど二人のBackgroundを埋める共通な環境があった。異国情緒が強い横浜。東京ほど都会ではないが、田舎でもない中規模の都市である。
家内が嫌がるのは横浜の住宅地は丘が多いことだ。坂の上がり下りが大変。老いてくると足が弱くなり坂の上がり下りが苦痛になる。彼女はそれを気にしている。
平坦な道で歩いて10分以内に駅があれば、利便性の高い居場所になると考えている。彼女の実家が東京都世田谷区に有り最寄りの駅まで歩いて3分の距離にある。
まだ私達夫婦は60歳代であるので体は若い。若いうちに足腰を鍛えておかないと健康寿命を伸ばすことができない。歩く運動は健康にプラス。それを理解すれば、今の環境は最高であると私は思っているのだが。
夫婦と一人で生活するのでは好みが違う
今住んでいる場所は、子供が二人生まれてから二人で決めた場所。子どもたちを育てる環境としては最高な場所である。大規模マンションであるので周りに3つの公園がある。子どもたちには元気良く公園で走り回ったり、サッカーをしたりして楽しめる環境がある。
子どもたちが巣立った後は、シニア夫婦や老夫婦たちが朝食前に散歩する場所になっている。公園の使い方も住んでいる人たちの年齢で変わってくる。今は、シニアクラブの人たちが毎日昼間にシニアゴルフをやっている。今やゲートボールよりもシニアゴルフが人気があるようだ。
老後を一人で生活をする老人は、周りに多くの人がいるほうが安心なのだろうか。都会で孤独死が増えているのを見ると周りに人がいようがいまいがあまり関係ないように見える。
むしろ、友人や知人が近くに住んでいればそれで良いように思える。そんな人たちが都会に住んでいるとできるだけ近くに住みたいという欲求が女性たちに生まれるようだ。実際に家内は、都会に学生時代の友人知人が住んでいるため彼女らの近くで生活をしたいようだ。結局は、それが本音なのだろう。
結論
- 老後の棲家をどこにするかで夫婦で意見が違う場合が多い。私と家内は違う。家内は東京都内で老後を送りたいという。その理由は、利便性というが実際は学生時代の友人や知人が都内にいるからだ。
- 長生きをする女性は、友人知人が近くにいるとおしゃべりで余暇を楽しめる。男性は、そうは行かない。多くの男性は、友人知人が住む近くまで引っ越しをすることはない。一人で生活をする時にどんな基準で終の棲家を決めるのかは、個人差がありすぎる。