住み慣れた家や場所を離れて生活をするのは、高齢者にとって苦痛だ。自分で新天地を求めて新しい住処に移り住むならば、苦痛が幸せ感に代わるが。そうでない場合は、苦痛そのものだ。
今は、まだ、シニアの入り口にいるが子供たちのお世話になる年齢になった時に住み慣れた家と場所を離れて生活せざるを得ない時が来るかもしれない。そんな時に私はどのような決断をしなければならないのか。
元気なうちに自分の老後を描いてその準備をする
子供の都合で子供たちの家で新たな生活をする老人が多い。多くは、どちらかの配偶者が他界した時になる。男親は一人で生活が出来ない場合が多いので妻が他界した時点で子供たちの家での生活が始まる場合が多い。母親が残った場合は、体の衰えで自活が出来なくなった時点で子供のお世話になる。
子供たちが今の家の近くで住んでいれば問題がないが、県を越えている場合は親の適応能力が試される。社交性があれば、地域に溶け込む機会さえ作れば自分で楽しむ環境を作れる。高齢者で社交性がある男性は少ないのではないか。女性ならば、おしゃべり仲間を一人見つければ仲間が仲間を呼び集めてくれる。
自発的に地域に溶け込む努力
父親は地域に根を張っていないので自発的に地域に溶け込む努力が求められる。自治会に積極的に参加して地域住民に顔を覚えてもらうことから始まる。
または、地域に根差したNPO団体で社会貢献活動を行う。自分が積極的に動かない限り誰も自分をかまってくれない。知らない地域での生活は苦痛と喜びが一緒にやって来る。地域に溶け込も過程で苦痛が伴い、自分の顔を覚えてもらった時には新しい友達が出来て喜ぶ。
一人で生活するにしても子供家族が住む地域に移って同居生活をするにしても地域に溶け込む努力をしなければ老後を楽しむことは難しい。一人で居ても楽しむ何かを持っていないと孤独で悩まされることになる。
子供のお世話にならない自活の準備
食事
一人で生活をする上で真っ先に困るのは食事である。料理が出来る人は問題ない。栄養のバランスを考えて料理ができればなおさら良い。私は料理がほとんどできない。私のようなシニアは妻から料理を学ぶ必要がある。または、料理学校に行くか独学をするしかない。
暇な時間のつぶし方
仮に妻が他界した場合、1日中一人である。テレビを1日中見るわけにもいかない。いつも一緒にいられる友や知人がいるわけでもない。どこかで暇をつぶす必要がある。今までは自宅にいれば妻と会話ができ、一緒に散歩もできる。一人と二人では生活の質が違ってくる。
孤独
何もやっていないと社会から孤立する。孤立すると自分が作る孤独の世界に住み着き始める。住んでいる地域に会話を楽しめる友達がいれば、孤独から逃れられる。その意味合いで、元気なうちに地域コミュニティに自分の顔を売る活動をする必要がある。そのためには2、3人の気が合う仲間を作ることである。
言葉では簡単に言えるが、実際行動に起こしてみると時間がかかる。思うような人に出会わない。それはそれと予想範囲のリスクとして覚悟すれば良い。時間をかけて気の合う人に出会う活動を続けることがポイントになる。
積極的に自分の生活環境を事前に作る活動が出来れば、それなりの効果がある。それが出来ない高齢者だと「老いては子に従え」になり子供家族と同居することになる。
私の知人が取った選択肢
私が知っているシニアは数年前に妻に先立たれ、長男の家族と一緒に生活をしている。衣食住の面では何も問題がないが、一緒に時間を過ごしてくれる相手がいないだけ。慣れない地域社会ではなかなか知人が出来ない。彼は元会社同僚と会って暇な時間をどう過ごせば良いか助言をもらった。
元同僚が通っているNPO団体を紹介して頂いてそこの活動を中心に自分の生活リズムを作った。子供の家にいるよりも出来るだけ外で活動している時間を多く持つことで長男家族へのいらぬ負担をかけない。
結局、いつの世も、いつの世代でも、誰でも、自分で最初の一歩を歩き始めないと何も始まらないという事である。
結論
伴侶が他界して一人で暮らすことになったときに自分の老後をどうするかを決断することになる。妻が他界したら残った夫は今後の生活をどうするかを選択することになる。子供家族と同居するのか、一人で自活するのか、どちらかを選ぶしかない。
老後の世界は必ず一人になる。孤独が友だちになり、自発的に行動を起こさない限り何も自分の周りに起きない。自活を選択するシニアは食事と暇の問題を事前対応する準備が必要になる。