自宅にじっとしていられない高齢者が外に出てくる。通勤時間帯を避けて電車に乗って街中にやってくる。そんなシニアが昼間の街中で目立つ。子供は学校。若者たちは会社で働いている。昼間のお店は年配の女性たちがウインドウショッピングをしている。その中に混じってシニア男性がうろつく。
横浜の街中でさまよい歩く高齢者が大勢いる。そんなシニアたちをいつも見かける。観察しているとあてども無くゆっくりと何かを捜しながら歩いている様子がうかがえる。今日の自分の居場所を探しているようだ。一人寂しく自宅にいるのは耐えられない。そんな老人が外の世界に自分の居場所を探す。
行きつけの居酒屋が夜の居場所ならば、昼はどこだ?
年配の女性が行く場所は決まっている。大手のデパートである。デパートには階段の近くに休息場がある。朝、10時開店の正面入り口に大勢の老人が待っている。そのほとんどがお婆さんたちだ。お婆さんたちはいつも自分が座って休めるイスを探す。イスに座ったら、その日の生活が始まる。
デパートの休憩場所
お婆さんはイスに座って行き交いするお客の姿を眺めている。時には、雑誌を読んだり、編み物をしたりする。お婆さんにとってデパートの休憩場所は自宅以外の生活の場所である。人の往来を見ていると寂しさが紛れる。同じような真理で独り者のお爺さんもデパートの休憩場所を利用する。
デパートの休憩場所は、老人たちの居場所になっている。
デパートからカフェに移る
一日中デパートに入られない。変化を求めてCafeに行く。横浜駅近くには沢山のCafeがある。スターバックス、ドトールコーヒー、シャノアール、プロントなどのチェーン店から個人経営の喫茶店まで。多くのご老人たちは値段が安いカフェに集まる。
朝9時前とランチタイム以外の時間帯は老人たちがカフェの席を埋める。カフェにとって老人のお客さんは無視できなくなっている。カフェは喉に潤いをもたらす。デパートで見る人たちとは違ってまた別の世界が楽しめる。米国でもヨーロッパでも退役した老人たちの集まる場所はCafeである。日本もそんな光景になっていく。
スターバックスに来るシニア
私はシニアのノマドワーカーである。仕事をする場所はインターネットが繋がる場所であればどこでも良い。そのため、Cafeが私の仕事の場所になっている。スターバックスが定番のCafeである。スターバックスにも私と違った理由でシニアが定期的にコーヒーを飲みにやって来る。パソコンを持って仕事はしていないシニアたち。
彼らはいつもの席に座って1~2時間何もすることも無くコーヒーを飲みながら立ち去っていく。いつも同じ時間帯にやってくる。私もその時間帯にカフェで仕事をしているのでそれが分かる。彼らはCafeに立ち寄って一服するのが生活の一部になっている。
日中外に居場所を探すシニア男性
私は自宅で仕事をしない。自宅で仕事をやり始めると孤独な世界に入る。家内からは目障りだ!と言われる。その2つの理由だけで無く外に出ることで色々な出来事を経験できる。スタバでは毎日会うアルバイト大学生の女性店員が愛想良く話しかけてくれる。注文をする前に私の好みを知っているのでいつものコーヒーを出してくれる。私はお金を支払うだけ。
お金を使いたくない老人は公共の施設や図書館に行く。図書館では新聞や雑誌を読んで昼寝する。その光景は貴重な時間を無駄に使っているという光景である。私の価値観では、一言、もったいない!である。まだ健康で働こうと思えば社会で働ける年齢の人が多い。
目的があれば自分の居場所は見つかる
自分の居場所は、探せば見つかるし、目的があれば自然と作れる。NPO団体に参加すれば、定期的に団体組織の中に身を置ける。捜せば、自分の身を置く場所はある。捜さないで街中を歩くだけでは見つからない。犬や猫では無い。考える葦の人間である。
生きる目的がある老人は、自ずと自分の居場所を見つけられるし、作れる。最終的に老後の生活は「死ぬために生きる」生活になる。その間を楽しく過ごせればOKである。
結論
高齢者の居場所は自宅以外にある。一人暮らしの老人は自宅で暇をつぶすのがつまらなくなる。それで生活の変化を求めて外出する。女性はデパート。男性は家電店。ランチの後に安いカフェに行き本や雑誌を読む。日中の時間を問わず高齢者が集まる場所がある。図書館である。図書館には新聞、雑誌、本がある。疲れれば昼寝もできる。
天気が良ければ公園でお弁当を食べながら自然を楽しむシニア夫婦が多い。平日の公園は人まばらでベンチが空いている。都会の騒音もなく小鳥のさえずりが聞こえてくる。シニアの生活は生きる目的によって変わる。70歳を過ぎる頃から老後の生活は「死ぬために生きる」であることを悟る。死ぬまで何をすれば楽しめるかの目的があれば時間は有意義に使われる。その目的によって自分の居場所が自ずと決まってくる。