私の今日のランチは、OKストアの弁当にした。OKストアで弁当売り場に向かおうとしたら通路をブロックしている老人男性に出くわした。その方は、ボヤっとして何やら考え事をしていたようだった。仕方ないのでちょっと空いた隙間を無理やり通り抜けた。その後の行動を見ていたが、鈍い。スーパーで動きが鈍いと他人に迷惑がかかる場合が多い。
同じことがそごうデパートの食品フロアーでも起きている。手早くテキパキと買い物をしているのは、若い人たちだ。シニアの方は、動きも判断も鈍い。急いでいる時などは、買い物をあきらめて別のデパートに行くこともある。
こんな事を書いている私もシニアなのだが、私よりも鈍い動きをしている。なぜ老人はそんなに動きが鈍いのか?
シニアの行動が鈍くなる理由
年寄りになると体の機敏性とバランス感覚を失い始める。若者と比べて歩く速度も遅くなる。気が付かないうちに歩幅も狭まる。体全体の機能が加齢で鈍くなる。体の衰えは動きに悪影響を及ぼす。素早く立ち上がれない、階段を降りるのが怖くなる、歩道や道路脇をよろけながら歩く。体全体の筋肉が衰えて思うように動けなくなるのが老人である。
一般人の行動が鈍くなる理由
- スマホを見ている時
- 悩みを抱えて考え込んでいる時
- 気が歩くこと以外の事に向かっている時
気が特定のものに集中していると他の出来事が周りに起きているのが分からない。
加齢からくる筋力とバランス感覚、視覚と聴覚の劣化
年寄りになると体の機能が自然と衰える。素早く自分の体を動かす筋力とバランス感覚を失う。67歳の私でも時々よろめく事が有る。体が硬くなり変な姿勢で立ち上がる時である。椅子から立ち上がる時、両足ではなく片足で立ち上がってみればその現象を体験できる。
60歳代、70歳代のシニアは椅子から片足で立ち上がろうとすると足の筋力不足でよろけて立ち上がれない。筋力とバランス感覚がある人ならば、難なくスッと立ち上がれる。
老人はこれに視野や難聴の問題が加わる。自分の周りの情報を素早く察知する機能が衰えて対応が遅くなる。緑内障で右目上部の視野を失っている私は、下を向いて歩いている時、前方から歩いてくる人を察知するのに遅れる。そのため、反応が鈍くなる。
右耳も人の声が聞こえる音域で難聴になっている。視野と音で障害があると若い人以上に周りで起きている事に気を使わないと分からない。聴覚が鈍くなると後ろから自動車や自転車がやってくるのが気が付かない。クラクションで気が付く。
膝で障害がある老人女性は歩く事で精いっぱい。膝の痛みを堪えながら歩くので気が膝に行きっぱなしになる。何らかの体の障害がある老人は気が分散されている。若い人たちは老人の心情と体の変化を理解できていない。老人たちもわざわざ自分の体の状態を若者たちに話しはしない。
初老である私は老人たちの心情を自分の体の変化から少しづつ分かるようになってきた。10年前の私ならば、なぜ、老人の行動が鈍いのか想像もつかなかったと思う。
老人対応
体が不自由な老人は自分の状況を周りに知らせるシグナルを発信する道具を持つべきである。足の動きが悪ければ、自然と杖を使い始める。杖を使って歩いていれば若い人たちにそれが何を意味するかが伝わる。聴覚が弱い老人は補聴器を使うことになる。補聴器で問題が解決できればそれが対策になる。
後は意識の問題がある。スーパーマーケット、デパート、店舗の入口や出口で立ち止まらないという意識である。立ち止まるならば、入口や出口を通過したあと周りの見て立ち止まる場所を探す。特にエスカレーターの出入り口は危ない。老人が怪我をする場所である。
老人を見たら注意して体の動きを見る
少子高齢化で2025年には3人に一人が65歳以上のシニアになる。昼間、横浜駅周辺を歩いている人はシニアが多い。地下街を歩いている人に石を投げれば、老人に当たるくらいだ。老人が前を歩いているときは要注意。突然、立ち止まったりする。前方不注意で老人に当たって転倒させてしまうリスクが有る。
70歳以上のシニアは一般的に足腰が弱くなっている。歩き方が弱々しい。ぶつかったら必ず相手をころばしてしまう。老人の状態と行動を観察して、老人の近くを歩かない。駅の階段を上がったり降りたりするときも前に老人がいたりすると要注意。間と距離をおいて階段を上がったり、降りたりする必要がある。
若者のように体を自由に動かせないシニアが増えてくると事故が起きやすくなる。加害者にならないように老人を見たら用心ということになる。
結論
2025年には動きが鈍い老人たちとの共存生活が問題になる。老人は筋力とバランス感覚、視覚と聴覚などの衰えで動きが鈍くなる。体が不自由なく動かせる人は動きの鈍い老人の動きを観察しながら気を使う習慣を身につける必要がある。老人は転倒しやすい。転倒すると骨折などの怪我をする。加害者にならないように老人の近くを歩かないことである。