年金生活が長くなると何のために自分は生きているのかという疑問が心に芽生えてくる。年齢が80歳をすぎれば体の調子も悪くなり自分の時間を楽しむことも限られる。60歳から毎年1歳づつ年を取っていく過程で自分の存在が社会から求められていない感覚を感じ始める。
そうなると、私は何のために生きているのかと悩み始める。
老いて来ると今まで出来ていた事が出来なくなったり、生活の環境について行けなくなったり、 経済的に苦しくなったり、生きがいがなくなったり、時間をもてあそぶ事が多くなる。生きる目的を見失いがちになる。
何か没頭することがあれば、精神的な悩みは消えて無くなる。物理的な不都合は、自分が出来る範囲で改善しようとする努力が無い限り消えて無くならない。誰もが老いからは逃げられない運命にある。生きることを楽しむためには何をしたら良いのだろうか?
誰かのために役に立つ事を始めることで自分の存在を認識する
世間で知られている「福沢諭吉の心訓」がある。内容は、下記のような内容である。これを一読するだけで生きるための意味が見え始める。
福沢諭吉の心訓
心訓
一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。
自分が生きていても意味がないと思い始めたら、「世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です」のような目標に向かうべきだと思う。
どんな人でも何かが社会の中で出来る事がある。自分が出来る事を実行すれば良い。近所に小さな公園がある。毎朝、通勤時に通るのだが80歳ぐらいのシニア男性がゴミバッグを持ってゴミを拾って公園を綺麗にしている。誰も彼に講演の清掃を依頼していない。彼の意志で公園を綺麗にしようとしている。
誰かに頼まれてやる事と自分の考えで行う事、どちらでも良い。自分が何かに役に立つだろうと思えばそれをやってみる。そこから何かがまた生まれてくる。
こんなことを想像してみる
今、自分自身が置かれている状態よりもひどい状態で生活をしている人達を助けるにはどうしたら良いかを考えてみる。シングルマザーで子供の世話と仕事を掛け持ちしなければ生きていけない人達がいる。そんなシングルマザーを助けるためにフードバンクサービスをしたり、無料で食事ができる食堂(未来食堂)を運営したりしている団体がある。
経済的に問題なく生活が出来るシニアで生きがいを失ったり、生きることで悩んでいる人ならば自分よりもひどい生活をしている人達を助けることが出来る。無償の労働でも良い。自分ができることを探してみることである。
私は12月25日に献血に行く。ささやかな社会貢献である。ちょっとだけの行為でも誰かを助けることに結びつく。
結論
福沢諭吉の心訓を一読してみる。自分よりもひどい生活をしている人達を助けることが出来る方法を考えてみる。自分ができることはたくさんある。人を助けることも色々な形で行える。生きることで悩んでいる事自体が贅沢かもしれない。明日の食べ物もないで苦しんでいる人達が社会の片隅にいる。何が出来るかを考えて行動に移してみることである。