お金は人生の保険である。お金が感謝されるときは、お金という保険が適用された時になる。通常の保険は、なにか予期せぬことで多額な費用が発生した時に保険金が支払われる。保険に入らなくてもたくさんのお金があれば保険はいらない。貧乏人は、お金が沢山ないので万が一のために保険に入るのだが、裕福な人は保険に入る必要はない。自分が持っているお金で対応ができる。

シニア向けの医療保険や生命保険がテレビで頻繁に宣伝している。月々の掛金が2000円から4000円と安い。当然、補償金額も多額でない。多くても200万円ぐらいである。それでも宣伝に騙されて保険に入るシニアが多い。

お金が人生の保険だからか。

お金がたくさんあれば、そのお金が保険金の役割を果たす!

歳を取ってくるとお金の価値がなくなってくる。お金は、生きていくだけあれば良いという気分になる。これは自分だけの人生を考えたらという話である。家族や子供、親戚を考えたら、そうはいかなくなる。沢山の金融資産が手元にあれば、何か困ったことが家族や親戚に起きた時にそのお金で支援が出来る。

つまり、自分のお金が家族や親戚の不幸で保険金のような役割を果たす。

老後にお金を貯めるシニア

お金は、飽くまでも何か予期せぬ出来事が起きた時に支援金として使うものである。そのようにお金を考えるとお金に自分の魂を乗っ取られない。お金を稼ぐのは、人生の保険を作るためという大義名分を持つようになる。

私はまだ沢山のお金を作っていない。そのため、家族や子供、親戚のために役立つ人生の保険を作れていない。今、時間をかけて人生の保険を作り出す仕組みを作っている。ローマは一夜にしてならずである。地道な努力と忍耐力で試行錯誤を繰り返しながらお金を稼ぐ仕組みを作らねばならない。

どっちみち私の命はあと20年もないかもしれない。まだ命があるうちに家族や親族のために人生の保険を創りあげたい。今の私の生きがいは、多分、人生の保険をつくり上げるための土台作りなのではないかと感じている。

自分のために使うお金はそれほど必要ない。食べて行くだけで十分だ。欲しいものは多額のお金を必要としない。数十万あれば足りる。人生の保険の土台をつくり上げるには、数千万円は最低でも必要だろう。それが可能になるような仕組みをインターネットで創りあげたい。

ビジネス思考の私はこんな感じでお金を見ている。多くのシニアは有料老人ホームで余生を楽しむためにお金を貯めている。それも選択肢として有り得る。

老後の保険は意味があるのか?

アイデアと試行錯誤からゴミが金に変わる。それを見つければ良いだけ。見えない世界での宝探しになる。見つけた宝の山は私の家族や親戚を支援する人生の保険になる。近親者が困った時に助けてあげられるだけの財力を創りあげたい。その目標を達成するだけで自分の余生を使い果たすかもしれない。

生きがいは幸福という名の香水を身近の人たちにふりかけて幸福になってもらうこと。ふりかけた香水は必ず自分にもかかる。先は見えないが、目標は決まっている。あとは、その目標に向かって努力をするだけ。人生を贅沢にするためのお金作りではない。身近な人たちが困った時に使えるお金を保険として作るのである。

お金は人生の保険である。私はこの言葉が大好きだ。

結論

もし、十分なお金があればそのお金を人生の保険にすることができる。裕福なシニアは保険に入らない。保険はお金が少ない人のためにある。老人にとってお金は生命線になる。お金を稼ぐことが出来ない人が多い。少ない年金と貯蓄で質素な生活をする。それが嫌な老人はお金を稼ぐことを考えて貯め始める。

食べて行く上で困らないお金はそんなに多額ではない。生きていく上で必要なものは衣食住である。老後にお金を使い続けるものは食べ物が中心になる。着るものと住む家が満たされていればお金を使うことはない。多くのシニアはモノに満たされている。若者たちがあれがほしい、これがほしいと騒ぐ。

お金が沢山あれば、自分以外の家族と親戚が困った時に使える。お金は人生の保険になる。