自分の人生が定年退職で一区切りする。子供頃から一般的な戦後の出世街道の線路:良い小学校、中学校、高校、大学を出て一流大企業に就職という路線を走らせられた。これが一般的な人生だとは思わない。これは一つの人生である。このような路線を走らないで自分独自の人生を送っているシニアは多い。
定年退職を迎えたシニアは、今までの人生をリセットする機会を得る。今までと類似の人生を送ることは年齢的に難しい。シニアは、年齢にあった老後の生活を自分で作らねばならない。誰かが事前に線路を引いてそこを走りなさいと言ってくれない。
65歳まで再雇用されてもその先には今と同じ問題が待っている。第二の人生は自分で作らねばならない。(故)松下幸之助氏が人生は90%の運命と10%の努力であると言っている。
定年退職がある人生を送ってきたシニアはそれが運命であり、その後は10%の努力で自分の老後を開拓するしかない。余生を攻めの人生にするか、守りの人生にするかは自分次第である。この世で生きる時間は限られている。この世を去る前に悔いがないことをやっておくべきである。
90%の運命と10%の努力(松下幸之助)で第二の人生を開拓する
残り10%の努力が運命を切り拓くという東洋経済オンラインの記事を読んだ。人生60年を過ぎてその意味が分かるような気がする。自分の人生を振り返ってみれば、自分で全てをナビゲートしてきたとは思えない。あまりにも不思議な転機が何度も発生していた。転機は自分でコントロールできない。
自分の意志でこの世に生まれてきていない。生まれてきた家庭も選択できない。生まれてきた時代も環境も選択できない。最初から生きて行くための諸条件が決められて生まれてきている。
ある人は、口に銀のスプーンをくわえて生まれてきた。ある人は、貧困の家庭に生まれてきた。私の両親は、第二次世界大戦を味わった。そんな時代で生きてきた。自分たちで選択できる状況ではなかったはずだ。
60歳を過ぎて第二の人生を歩み始めているあなたは、90%の自分の運命と残りの10%の努力で第二の人生を満足が行くように生活をしていかねばならない。
68歳になって思うこと
会社を定年退職して困るのは毎日行く場所がない事だ。会社勤めの頃はこんな事を考える事はなかった。毎日が日曜日である。朝日新聞の社員採用募集ページを眺めながら仕事を探すが、60歳を越えたシニア向けの仕事は(自分が望む仕事)はない。
第二の人生は10%の努力で切り開かれる。60年間の人生経験から何かを学んだはず。学んだ中から何か役に立つ経験や知識があるはずである。他人があなたを雇用してくれなければ、あなたがあなたを雇用すれば良い。そんな選択が目の前に見えてくる。
10%の努力は自分の残りの人生を自分で開拓する努力ではないか。そう考える事が出来ないか。ちょっとしたアイデアに自分の人生経験や知識を合わせれば、何かが生まれるのでは。アイデアがあれば、そのアイデアで仕事が作れるかを知人、友人に相談して検討する。
最終的には自分がこれならばやってみたい!という気持ちになるかだ。新しい事への挑戦と好奇心が情熱と面白さを生み出す。心がワクワクする時間を作り出せれば、死に向かう余生は楽しくなる。
70歳になる前までに新しい挑戦に取り掛かること
68歳である私は朝起きるたびに感じることがある。起きた時にこれこれをやろうという気力が弱まっていることである。50歳代のときはこれをやってみよう、あれを試してみようという気力が満ちていた。ちょうど、起業したてのときであったからだ。売上を伸ばすには、新しいお客を見つけるには、何をすべきか。その答えを推測して実際にやってみる。新しいことへの挑戦である。
若ければ若いほど情熱と気力が自然と生まれてくる。これをやっている人がいないならば、私がやってみれはどうなるだろうか。そんな意気込みが生まれてくる。68歳になり70歳に向かっているシニアはこれという何かがないと朝起きた時に何かに挑戦する気力を失う。
70歳を過ぎると老化現象で前頭葉の機能低下が起きる。
前頭葉の働きが鈍くなると、何を見てもつまらなく感じたり、やる気が起きなかったり、気持ちの切り替えができず引きずってしまったり、頑固になってしまったり…といった、いわゆる「感情の老化」につながります。(引用先 【更年期の感情老化をストップ!】脳を鍛えて幸福感を高める「3つの工夫」)
前頭葉の萎縮が本格化する50歳、60歳、70歳代。新しい事への挑戦や初めての経験は前頭葉を刺激して新鮮な感覚を作り出す。体力がまだある60歳代に新しい挑戦をするのがタイミング的に丁度良い。
普通の生活が出来ているうちに10%の努力で人生を楽しむ
私達夫婦はまだ60歳代である。普通の生活が出来る健康と体力を維持できている。子どもたちも巣立って自分たちの時間を多く持てるようになっている。国内旅行も年に数回は行けている。お互い専門分野の仕事を持っているので時間があった時に旅行を計画している。
まだ行ってない場所に行ってみたいという好奇心がお互いにある。夫婦で旅行するために働いてお金を貯める。そんな目的も出来る。あといくら稼げば、この旅行ができる。そんな目標を作って働くと働く意味が生まれてくる。旅行は健康と体力がないと楽しめない。健康と体力が駄目になるとお金があっても楽しめない。
残りの人生はお金を貯めるだけでなく、お金を有効に使うためにあると思う。子供にお金を残すのは結果であり、目的ではない。使い切れなくなったお金が残るだけである。自分たちの努力と汗で稼いだお金は生きているうちに使って楽しむためにある。老後の楽しみのナンバーワンは「旅行」である。
結論
今65歳で会社組織を去るならば、90%の運命と10%の努力の人生になる。残りの人生は10%の努力で自分独自の人生を歩むことになる。死に向かう線路は自分で作るということだ。どうせ死ぬならば、楽しい経験ができる線路を自分で作りたい。遣りたいことをやる人生が第二の人生ではないか。他人の人生を意識する必要はない。
自分中心の人生を考える。会社の名刺を失ったシニアは社会での存在感を失う。自分はどこの誰なのか。自己紹介する時に無職、年金生活の〇〇ですとなる。これがスタートポイントで10%の努力で満足が行く人生を作るしかない。
死に向かう老後の生活は普通の生活が出来る健康と体力があるうちにお金を使って楽しむ時期である。夫婦で旅行に行く。まだ見ぬ世界を発見する旅は好奇心が生まれる。初めての経験や出会いがある。感動も生まれる。日常の生活では味わえない体験がある。