自宅で昼食を終えてからドリンクとお菓子をリュックに入れて三渓園に近い本牧までドライブした。本牧のイオンに駐車して本牧市民・臨海公園まで夫婦で歩いた。スマホの地図を頼りに静かな住宅街の小道を歩きながら本牧市民・臨海公園を目指した。公園まで歩いて20分ぐらいかかった。

本牧プール辺りから臨海公園に入り周辺を歩き回り、そこで見つけたのは八聖殿郷土資料館であった。午後16時に閉館であったが、10分前に郷土資料館に入り急ぎ足で中を見学した。

hasseiden house

横浜の歴史の一部を地理から学ぶ

会社員の生活をしていると仕事場と自宅との伝書鳩になる。定年退職後に住んでいる地域に自分の足が根付いていないことを痛感する。横浜に住んでいるのだが、根無し草のように浮いている。会社員時代は、地域活動がゼロであった。今、会社を卒業して自宅周辺で過ごす時間が増えると住んでいる場所のことを学び直す必要にかられる。

横浜周辺の公園巡り

私は自営業をしているがインターネットビジネスであるため、自分の仕事環境を自由に選べる。ノマドワーカーであるため、仕事をする場所と時間が自由だ。66歳の今、出来るだけ休みの日は家内と一緒に横浜周辺の公園巡りをしている。

別に平日でも気分次第で妻と一緒にドライブ外出をしてランチ外食をすることも多い。60歳を過ぎれば、体も多少衰えてくる。若い頃と同じスピードであせくさと働く必要はない。自分たちの生活スピードで生活が回るようにすれば良いだけだ。

八聖殿郷土資料館

八聖殿郷土資料館の中に入ったらこんな絵を見た。吉田新田の図である。吉田新田とは、

現在の蒔田公園から大岡川・中村川に囲まれた地域には、かつて外海と砂州で仕切られた形で入海が広がっていました砂州が横に長い砂浜であったことから「横濱」という地名が生まれたとも言われ、室町時代にはその辺りに「横濱村」という地名が確認されています。江戸時代前期、その入海に吉田勘兵衛が干拓により新田開発を行います。幕末に横浜が開港場になると、かつて入海であった新田へと次々に街が造られ、急速に都市化が進んでいきます。それに伴い「横濱」と呼ばれる地域も拡大していきました。(引用先:八聖殿郷土資料館

yoshida sinden

横浜周辺は、江戸時代初期、海であった。こんな事実を初めて知った。

横浜市とその周辺について学ぶ公園めぐり

若い頃は、子育てと自分の夢を実現させるために忙しい生活を送ってきた。子どもたちが巣立って夫婦二人だけの静かな時間を持てるようになった。今の住居に20数年以上生活しているが、横浜市とその周辺について学ぶ機会がなかった。夫婦で平日週末を問わず公園巡りをやり始めて少しづつ横浜の歴史を学んでいる。

私と家内は横浜生まれではないので地元に根付いていない。

私の終の棲家は、今の住居になるだろう。その予定でマンションを購入した。丘の上から横浜市全体を見渡せる。大規模集合マンションであるので近くに公園が3つある。子育てには最適であった。自然に恵まれ騒音もない。自動車があれば、直ぐに高速に乗れて何処へでも行ける。

起業して生活が安定しているので時間と生活に余裕が生まれている。家内も私も自分の専門分野を持っているのでそれぞれの世界に居場所がある。夫婦の息抜きは、今の所、訪れたことがない公園巡りである。ちょっとづつであるが、地元でない横浜のことを公園巡りから学んでいる。

老いてきて足元を見る余裕が出来た。歳を取れば取るほど活動範囲が狭まっていく。

住んでいる場所を知らないから学ぶ

八聖殿郷土資料館は、無料で楽しめる。

hasseiden

八聖殿郷土資料館の周辺には、三渓園と本牧山頂公園がある。春になれば綺麗な花と景色が見られる。このあたりは、まだ、十分散策していない。もっと暖かくなる4月頃に再度訪問を計画している。

結論

  • 地元でない私達夫婦は横浜の公園巡りをして横浜の歴史を学んでいる。横浜市周辺が江戸時代初期に海であったことを八聖殿郷土資料館で知る。
  • 八聖殿郷土資料館は無料で楽しめる。近くには本牧山頂公園がある。歩きながら本牧の海を眺められる。