自分の体から失われて行くものは、いつも使っていないもの。私は仕事でパソコンを使う。文字を筆記用具で書く事は一切ない。全てキーボードでの指の作業である。これが災いになって漢字が書けなくなっている。漢字を書かなくなると文字は読めるがイザというときに書けないという日本人として恥ずかしい状態になる。

簡単な漢字でも度忘れしやすくなった。いつも、これではだめだ、ダメだと思い続けているのだが手で漢字を習う、使うというアクションが続かない。会社員の頃は、パソコンを使うよりも会議に出てメモを取ることが多かった。今は、一人で仕事をインターネットでしているため手でメモを取る必要が無い。

手書きでメモをとる習慣があれば、少しは漢字を書ける状態を維持できたのだが。毎日パソコンに向かってキーボード入力をする生活では難しい。世の中は便利な機器で物事を素早く簡単に効率良く成せるようになったが、人間の能力を駄目にする。

使わない知識、技術、スキル、体と筋肉は老いると失い始める

大人になって恥ずかしい事なのだが、漢字が書けないという事に家内から批判が続いている。国語は得意ではなかった学生時代。漢字は特にダメだった。ダメな漢字の知識が4年間の米国大学留学でさらに拍車をかけた。国語の成績が良ければ、今、漢字の事で悩まないだろう。

老いで計算能力が低下、専門知識も陳腐化

もう一つ、失いつつあるものがある。計算能力である。特に暗算。頭で計算する行為が日常の生活で少なくなっている。いつも、スマホの電卓機能、パソコンの表計算アプリなどを直ぐに使ってしまう。本来ならば、紙に書いて自分で計算すべきなのだが、文明の利器を使うのが正確で便利であるから。

良く言われるのは、歳を取り始めると今まで出来たことが出来なくなると。身体能力の低下から来るというのだが、使っていない知能も低下してしまうのではないかと感じている。会社員時代に学んだ専門知識も引退後に使うことがなくなり、陳腐化していっている。仕事をしているときに使っていた能力やスキルは特に失われて行く。

文明の利器は本当に私達を幸せにするのか?

文明の利器は、非常に便利で役に立つのだが人間の能力をだめにする。記憶しなくてもスマホで黒板に書いてある内容をカメラ機能で撮れば良いとか。メモを手で取るよりもスマホのカメラで撮る方が楽であり効率的だと若者もシニアも考える。

この数年間、年賀葉書は出さないでいる。年賀はがきの代わりにメールやSNSの投稿、または、メッセンジャーで代用してしまっている。私の子供たちは、年賀はがきを書くという意識や習慣がほとんどない。親に言われて親が買った年賀はがきを書くだけであった。彼らはSNSで年賀はがきの代わりをする。お金がかからず瞬時に友達に届く。

家内だけは、年賀はがきを書いている。私が書かない分、家内に代行してもらっている。文字を手で書くという人間が本来持つ能力が使われなくなっている。情報の伝達方法が紙に書いて伝えるから電子メディアに代わってしまった。

インターネットの世界では手書きはいらないし、出来ない。手書きよりもキーボードや文字入力機能で文字が書けてしまう。メリットが多いためか、多くの人がその流れに飲み込まれいる。これからA.I.やロボット、そして、IoT機器が家庭内に入ってくると人間の本来持つ能力が使われず、知らないうちに失われて行く。これで本当に良いのだろうか。

便利な文明の利器は人間の本来の能力や機能をだめにしてしまう

NetflixでStar Trekドラマを見ている。瞬間移動技術で歩かないで行きたい遠隔地に行けてしまう。これが現実化すると自宅から会社まで通勤することが無くなる。瞬間移動で会社に着いてしまう。歩くという動作もなくなってしまう。便利なのだが、人間の歩く能力が低下してしまう。

分からない事を百科辞典で調べる動作自体もなくなる。自宅にGoogle Homeがある。Google Homeに向かって、「OK, Google. オリンピックの歴史について教えて!」と音声で聞けば、大体の概略を音声で答えてくれる。本棚にある百科事典を引き出して、オリンピックで該当ページを探す必要がなくなった。便利だが、何か危ない感じがする。

これから自動運転の自動車が社会に出始める。自動運転機能の完成度が高まるともう自動車を運転するという能力やスキルは不必要になる。自動車免許取得教習所ビジネスはその時点で消滅する。私が20代の頃は、自動車教習所で習う自動車運転はマニュアル運転技術であった。クラッチを使ってギアを変えてスピードを変更した。今は、アクセルとブレーキの使い方だけでクラッチを使わないのが当然になっている。

若者は、クラッチで動く自動車を運転できない。オートマチックの自動車が一般的になったからだ。どんどん人間を楽にさせてくれるのだが、一方で人間の本来の能力を駄目にしていっている。

健康寿命を縮める便利で快適な老後生活環境

仕事をしない老後の生活は活発に体を動かさないライフスタイルになる。会社勤めをしていれば、会社に通勤して働く生活のリズムがある。そのリズムの中で体を十分動かしている。引退後の生活にはそんなルーティンがないため、自然と体を動かさなくなる。

シニアの体は老化で使わない筋肉を削って行く。自宅だけの生活が続くと75歳になる前に脚力を失い歩くのが面倒になる。外出しても階段を使わずにエスカレーターやエレベーターに頼る。自宅から最寄りの駅まで歩いて5分の短距離であってもバス、自動車、バイク、タクシーなどを使う。

体力を失うから楽な手段を選ぶのが老人である。横断歩道まで歩かないで往来の激しい道を横断する老人。歩道があるのに道路脇を歩いてショートカットするシニア。そんなシニアをどんどん楽にする便利な機器や環境がこれから生まれてくる。

自分の足を動かさずに移動ができるAI搭載自動車(呼び出せば自宅までやってくる、必要なときに必要なだけ乗せてくれる)、食品の買い出しが不要になる出前販売やロボットによるテイクアウト・デリバリー、病院に通わなくても自宅でリモート診察をするなど自分の足を動かさないでも出来ることがたくさん生まれてくる。便利な世界になるが、老化をどんどん進めてしまう。

結論

  • キーボード作業で手で文字を書くということが無くなってしまった。その結果、漢字が書けなくなった。
  • 文明の利器のお陰で計算も正確で早く結果が分かるようになったのだが、暗算能力が低下した。
  • A.I.、ロボット、IoT端末で日常の生活が今以上に楽になるが、同時に人間の本来の能力をダメにする