杖をついて歩いている老人が目立っている。老人になると個人差が健康面で目立ち始める。若い時には思ってもいないことだが。初めて老人になった時に気がつく。動物は、杖をついて歩けない。人間だけだ。その分だけ長生きが出来る。
老人は社会の負担になるが、その負担を軽減できる方法がある!
老人が社会の負担になり始めるタイミングがある。普通の生活が自分でできなくなる時である。自分の力で動けなくなる時もそうである。普通の生活をするには他人の力を借りないで動き回れる足の力が必須になる。その足の力が衰えた時、杖を使って歩くことになるのだが不便である。
足の筋肉を鍛えないと時間の問題で歩けなくなる。他人の力を借りて(車いす)動かざるを得ない。これは、自分以外に負担が行く。動物は、自分で動けなくなった時点で死を意識する。人間も大昔は動物と同じ運命にあったと思う。自分の足で動けるということがどんなに重要なことであるかがわかる。
シニアが社会の負担になる原因
- 自分の足で動けなくなる
- 認知症
- 体の障害や病気
- 年金だけでは生活できない(生活保護に頼る)
- 孤独からくる精神障害
この中で自分でコントロールが出来る項目は足で動けるようにする事とお金を稼ぐ事ぐらいしかない。健康な体と生きていくためのお金。老人が死ぬまでお金を稼げれば生活費の面で問題はなくなる。老人がお金を稼ぐには色々と知恵を働かせねばならない。肉体労働ではなく知的生産になる。誰もが出来るものではない。
でも、
自分の足で身動きを出来るようにすることは足の筋肉を鍛えればよい。これは誰にでも出来る。やり続ける意志があれば誰にでも可能である。足の筋肉は使わないと自然に衰えてくる。歩かないシニアの足は筋肉が時間とともに減少していく。
自分が社会の負担にならないようにする
身の回りの世話を自分でできれば、社会からの支援を受ける必要が少なくなる。身動きが普通にできれば、働く機会さえあれば、生活費を稼げる。持病などで健康障害がある人は社会の庇護で生きていく選択しかない。そうでないシニアは社会の負担をできるだけ軽減するために自分の健康寿命を伸ばす活動をすることである。
最善な方法は社会で働き続けることである。普通の社会人と同じような働き方ではない。シニアの体力で無理なく働ける分野になる。その分野は老人であることが味方になる分野であれば良い。例えば、
- 幼児の遊び相手
- 子供の見守り
- 介護施設での話し相手
- シニア向けスポーツ教室
- 図書館での読書会企画
- 古い家電製品の修理
- 在日外国人のコミュニティーサポート
働くことで新しい生きがいや喜びが生まれてくる。時代は少子高齢化で人口が減少し始めている。シニアも労働者として社会は求め始めている。引退生活を遊んで暮らすのはつまらない。遊んで暮らせるだけの金融資産や年金がもらえているならば自分の時間と頭脳で社会に貢献することを考えるべきである。
時間とお金で余裕があるシニアはこれをすること
- 住んでいる地域で問題を見つけ、解決する方法を探し、実行する
- 地域の安全と環境を良くするために自分が出来ることを実行する
- 子ども食堂やフードバンクを支援する、お手伝いする
自分が出来る社会貢献を探し、言葉ではなくアクションでそのニーズに答える。ちょっとした気付きと行動で問題が改善される。
70歳以降の老後は残り少ない余生を楽しむ時間になる。その時間の使い方は個人の自由である。目標を決めてそれを達成することで精神的な充実感を味わう。そんな時間の使い方もある。何もしないで時間だけが過ぎ去っていく老後はつまらない。
自分で何々をやってあげて良かったと感じながら他界して行く。そんな死に方も良いのではないか。
結論
他人のお世話にならないで他人をお世話する立場になれるよう自分の健康寿命を伸ばし、シニアの労働者になること。シニアはシニアなりの労働環境を作る必要がある。体力が衰えているシニアに普通の労働者と同じ労働はできない。肉体労働よりも知的な生産を仕事にする。