孤独と孤立は、人間と会って会話をする機会を失ったシニアたちが感じる現象ではないか。私は、もう、19年以上もノマドワーカーをカフェでやっている70歳のシニアである。一人社長のビジネスは、時々、人恋しさが生まれる。1日誰とも話をしないでパソコンとにらめっこしている。こんな状態が続く時は、自然と孤独を感じ始める。飽くまでも仕事環境での話であるが。
私が感じている孤独と孤立は、これからシニアがフリーランスや個人事業者として仕事をする上で避けられないかもしれない。特にシニアは、新しい知人や友達を作るのが難しい。仕事だけではリラックスした関係を築き難い。
起業や転職で新しい組織で働くにしても、自分で進んで新しい出会いを作り出す環境に自分を置かないと誰も寄ってこない。
時々、カフェで一人、静かにコーヒーを飲みながら食事をしているシニア女性を見る。後ろ姿が寂しそうであった。シニア女性は男性よりも長生きをする。当然、男性以上に孤独と孤立を味わいやすい。
ただ、女性には男性にない本能的な能力がある。おしゃべりである。気楽に話しかけて何時間もお喋りができる能力は男性にはない。おしゃべりを通じて新しい知人を作れる。男性にはそれが難しい。それ故に孤独と孤立の世界に留まりやすい。
昨夜の夢が記憶に残っている。妻に先立たれて一人ぼっちになった自分を見た。時間の問題でどちらかが先に旅立つ。残された一人はどのように生きるべきかを考えさせられる。今は二人で楽しい老後の生活を送っているが、そのような人生は長くは続かない。人それぞれの運命を背負っている。
いつ列車を降りるのか分からない人生
私たち夫婦は無意識のうちにそれを知っている。そのため、出来るだけ二人で楽しめる時間を持っている。二人で外食、旅行、ドライブ、買い出し、公園散策など、思いつくことをやっている。今は二人とも健康で体力がある。普通の生活を送れている。どちらかが体調を崩して一緒に楽しむことが出来なくなったら、どうするか。そんなことも頭の中をよぎる。
最近流行しているAIにこの問題を尋ねてみた。その回答が下記にある。
シニアの自動車免許証返納は、危ない経験をした時に躊躇なく行うべきではないか。事故を起こしていないだけ幸運であると思う。これを無理して運転し続けると余生を台無しするのが見えている。交通事故による罪悪感が死ぬまで追いかけてくるからだ。
高齢者による自動車事故がテレビで頻繁に報道される。事故をニュースで取り上げるのは良いのだが、事故を起こした老人はその後どうなったかだ。どんな運命が待っているのだろうか。自分が運転した自動車で他人の命を奪ってしまったという罪の意識は一生消えない。
事故を起こした時点でその人の人生から生きがいが消えて行く。自動車は殺人マシンになるということを誰もが意識して運転すべきである。
自動車は、走る武器である。運転操作を間違うと人を殺してしまう。老人による自動車事故が増えている。視野が狭くなり、耳が遠くなり、反応感覚が鈍くなり、アクセルとブレーキを間違ったり、危ない運転をしている老人が増えている。
家族からは、自動車の運転をやめるよう諭される。自動車運転免許証を返納して運転経歴証明書(身分証明書の代わりとして使用可能)を発行してもらうよう助言される。
高齢者が自動車事故を起こす事件が多発している。アクセルとブレーキを踏み間違えると言う。高速道路を逆走するという事故も多い。普通であれば、ちょっと信じがたいのだが。私は、緑内障を患わっている。自動車の運転免許証を70歳代に返納しようと考えているが、現在は様子を見ている。緑内障の状況によって自動車を運転することを止めることになる。
足の筋力が衰えた状態で自動車を運転するシニアを多く見かける。これは安全性の観点から推奨できない。 具体的に以下のようなリスクが考えられる。
シニアは自動車免許証の返納後のことを今から考えてどうするべきかを準備する必要がある。
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このページのシニアライター:Norito H.Yoshida
Profile
Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.
シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。