シニアが社会の負担になる理由
杖をついて歩いている老人が目立っている。老人になると個人差が健康面で目立ち始める。若い時には思ってもいないことだが。初めて老人になった時に気がつく。動物は、杖をついて歩けない。人間だけだ。その分だけ長生きが出来る。
杖をついて歩いている老人が目立っている。老人になると個人差が健康面で目立ち始める。若い時には思ってもいないことだが。初めて老人になった時に気がつく。動物は、杖をついて歩けない。人間だけだ。その分だけ長生きが出来る。
83歳の義母をAUショップまで連れて行った。歩きながら話をしたのだが、途中から義母が歩きながら足がぎこちなく感じると言い始めた。年末から正月まで自宅の中で動いていただけで外を歩くことがなかったという。始めて歩いたという感覚だったという。
70歳を過ぎた老人が外出して歩くことを止めたら、必ず足の筋肉量が減っていく。筋肉量が減っていくと自分の体を動かす時に違和感を覚える。それが出やすいのが歩行である。足の筋肉は大きい。その筋肉が衰えると自分の体を支えたり、動かしたりする上で支障が出る。
83歳の義母の足は足のぎこちなさで筋力の低下を表していた。自分の体を不自由なく動かせなくなったら、暗い余生が待っている。自分で自由な行動が出来なくなるという状態を想像してほしい。動物は歩けなくなったら死ぬ。人間は賢いから衰えていった筋肉を鍛えて増やすことができる。生活のリズムの中に足腰の筋肉を鍛える習慣を取り込めば良い。
51歳の時に起業をした。それから早16年が経過した。自営業として生活は成り立っている。61歳の時に厚生年金と企業年金の支給が始まった。年金の有難みを感じた。過去に積み立てていた年金(給与から強制引き落とし)がやっと自分の懐に戻ってきた感じだ。
自営業の収益を第一の収入源として考えると年金収益は、第2の収入源だ。今、第3と第4の収入源を構築している。安定した生活をするには、定期的に懐に入ってくる収入源が沢山あったほうが良いからだ。老後の生活は、待ちの生活ではなく、開拓して行く生活である。
100歳まで生きると仮定して67歳になった今年、ビジネスに生きがいを求めている。
自分の人生の先が見えないと思っているシニアが多いのでは。定年退職前の自分ならば、会社組織内での生き方が想像できていた。フリーになったら、自分が何をしたら良いか羅針盤が狂い始める。自分の人生の先が濃霧で見えない時、不安が悩みを作り出す。
何かに悩んで道を歩いていると何故か下を向いて歩いている自分に気が付く。前から知人が歩いてくるのも気が付かない。下を向いて歩くと目先が地面しか見ていない。本来ならば、青い空を見ながら新鮮な空気を吸い込んで心地良い気分を味わえるはずだ。
自分をもう一度若い時のように若返らせたい!そんな欲望を誰もが持っている。肉体は、筋トレを定期的にやり続けないと若返らせる事が出来ないが、やれば老人でない肉体美を作れる。精神面の若さは、やりたい事に情熱をもって時間を注いでいれば自然と顔が輝きだす。仕事に老後の生き甲斐を見いだそうとしているシニアは、自分で仕事を作り出すことしか道はないのだが・・・!
60歳代の時に70歳以降の老後の生活をイメージする必要がある。
31日大晦日の日に今年を振り返る。本業の仕事に50%、30%をブログ書き、残り20%を筋トレに使った生活を送っている。70歳になるまであと実質3年である。毎年目標を設定するのだが、新しい目標が減ってきている。刺激ある余生を送るには目的を持った時間の使い方が重要になる。
この1年間を一体何に使ったのだろうか。色々なことをやったと思うのだが、記憶に残っていることは少ない。今、それを振り返ってみたい。知らずしらずのうちに時間は過ぎ去っていく。取り返しの出来ない時間、命という時間を無駄にしたくない。意味あることに使いたいと思うのは皆同じ。
来年の1月には67歳になる。67歳という歳は若いのだろうか。若いと思いながら何かに没頭したい。物にお金を使うという欲求は減ってきている。自分が動いて変化を感じることに価値を感じる。何かに向かって自分が動く。動きながら生きていることを感じる。
この1年間、私は何をしてきたのだろうか。
令和2年度年金改正法案の成立で注目されるのが、年金受給開始時期の選択肢の拡大である。現状65歳から年金受給が75歳まで拡大される。65歳で年金を受け取らないで73歳で受け取るという選択ができる。今までは70歳までという範囲であった。
国が支給する基礎年金は、死ぬまで支払いがされる。長生きすればするほど累積年金額が多くなる。もし、年金受給を先に繰り上げすると(1)他界する可能性が高くなる、(2)累積年金額が少なくなるというリスクがある。国民にとって一番利口な年金受給は、早くもらって長生きする事である。
年金は少子高齢化で受け取る金額が少なくなって行く事が分かっている。年金を生活の基盤にして生きて行こうと考えているシニアは考えを改めたほうが良い。これからのシニアは年金プラス他の小遣い収入でお金を稼ぎ続けないと余生を楽しめなくなる。
昨年、義父は介護付き有料老人ホームに入居。義母は継続して老健施設に入居している。東京の実家はネズミ以外誰もいない。義父が今まで生活していた実家が空き家になっている。東京には孫たちが生活をしている。横浜と関西に家を構える子供夫婦と東京で生活をしている孫たちを総動員して空き家になる実家を有効活用しようと考えている。
老人が住む実家にはインターネット環境がない。そのため、私達夫婦も孫たちも実家で長居する状態になかった。リモートワークが新しい生活様式になるにつれてインターネット接続が必須になっている。孫たちにとってはインターネット環境がない実家では何も出来ないという印象を持つ。
私や関西の義兄もインターネットを使って仕事をしているので実家にインターネット環境がないのは都合が悪い。そこでどのような感じで親族が活用すべきかを考える。誰も住まない家は老朽化が激しくなる。家の中の空気の入れ替えねばならない。東京に出かけたときに一時休憩場所として寝泊まりするしか無い。
実家の管理は私達夫婦に任された。月に2回ほど空気の入れ替えと掃除で実家に行く。関西にいる義兄がときどき東京に仕事で上京する。その時の宿にもなっている。空き実家を有効活用するにはどうしたら良いのだろうか。
定年退職をすると多くのシニアは、自分で何かをやっていかないと自分自身が崩れて行ってしまう恐怖に駆られる。経済的な問題以上に精神的な問題が大きくのしかかってくる。精神的な問題とは、残された人生という時間である。会社勤めの頃は、会社がやるべき仕事を自動的に与えてくれた。それをやっていれば、給与がもらえ働く場所もあった。名刺を持って社会とつながっていた。
会社を離れて一人になった今、次にやるべき事ややりたい事があればそちらに向っていける。何をやったら良いかわからないシニアは暇になった時間をどう使うかで迷い始める。この迷いは65歳で年金を頂き始めたシニア皆に共通するのではないか。
老いてくると物が欲しくなるというニーズよりも与えられた時間をどう使ったら良いかの方法に目が行く。毎日が日曜日という老後の生活は精神的な苦痛になる。何もやることがない=社会の中の存在感が失われる。暇なシニアはそんな存在に成りがちである。
これからの身の振り方を自分で決める。頭で考えるよりも行動で考えるべきではないか。
昨年の夏のことである。帰宅時に横浜駅の階段を上っていく一人の老人の後ろ姿を見た。半ズボンとTシャツ姿で体格が手に取るように分かる。年齢的に70歳から80歳ぐらいのシニア男性。階段を軽快に上がっていく。背中から腰まで筋肉がついている。足の筋肉もやせて細くなっていなかった。
あの年齢であの体格を維持できているのは、きっと、定期的に運動をしているためだろうと私は思った。シニアの筋肉は定期的な筋トレをしていないと確実に筋肉量を年1%づつ減らして行く。それが筋肉が多い足の筋肉にでてくる。
お風呂に入る時、洗面所の鏡に写る太ももを見てほしい。予想以上に太もものサイズが小さくなっているはずだ。足の筋肉に張りがない。筋肉を失い皮膚の皮がたれ始める。シニアの体は加齢でドンドン醜くなっていく。
このページのシニアライター:Norito H.Yoshida
Profile
Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.
シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。