日本語でよく聞く言葉が、「ピンチはチャンスだ!」。なぜ、こんな言葉が私たちの生活の中で使われているのか不思議である。因みにピンチという英語 Pinchの意味は、摘まむという意味で困った状態を意味しない。完全な和製英語だ。本来の英語の表現は、"Tough times bring opportunity."(ピンチはチャンス)になる。
シニアは人生の中で何度もTough Times ピンチに遭遇し、何とか乗り越えて今にきている。捨てる神あれば拾う神ありという感じで困難な時期を何とかやり過ごしてきた。年齢が60歳、65歳になると会社を卒業する時期になる。年金生活で優雅な余生が送れるシニアとそうでないシニアが生まれる。多くは後者のシニアである。
60歳代はまだ若い。体力もあり、新しいことに挑戦できる気力が残っている。働けるうちにお金を稼ぎたいと思うのは自然である。問題は年齢という壁が社会で働き続けることを難しくする。年金以外の収入を何とか稼ぎたい。そんな欲求が自然と生まれてくる。
60歳を過ぎると人生の節目に直面しピンチになる。今までの生活のリズムが崩れ、自分で生活設計を作らねばならない。会社で働き続ければ、会社生活の延長線で余生を考えれば良いのだが、それが出来ない現実がある。今度は自分で人生設計をしなければ老後の生活が見えてこない。
直近の問題は年金以外の収入を得る方法を作り出すことである。期限は自分の体が健康で元気なうちにである。年金以外の収入をどこに見い出せば良いのか。
今月、義母が老健施設を退去して有料老人ホームに入居した。義父が先に入居した老人ホームである。義母は3年間老健施設に入居してリハビリに励んだ。老健施設は原則3ヶ月毎に別の老健施設に移動しないと継続して老健施設での生活ができない仕組みになっている。そのため、義母な2ヶ所の老健施設を行ったり来たりしていた。
老健施設のメリットを私はこんなふうに感じている。
義母は要介護認定5で入居して退去するときは要介護認定2に回復していた。自宅で転倒し、背骨の圧迫骨折でベッド生活になっていた。自宅での介護を私達夫婦と義父が半年ほどしたが、介護負担が大きく回復の兆しも見えていなかった。それでケアマネジャーに相談し、老健施設を助言してくれた。
義母の老健施設への入居は私達にとって救いになった。自宅での介護には無理がある。栄養バランスが取れた食事を作れないし、どうしても我儘な食事になってしまう。老健施設は月額15万円から17万円ほど費用が発生するが、自宅での介護負担を考えたら安いと感じた。
その理由は
老健施設への入居は有料老人ホームにお世話になる前のステップとして理想的である。
高齢者になると仕事もお金も釣り合わない事に気がつく。人生の価値観に新しい要素が入ってくる。健康である。健康である事が余生を楽しく過す大前提になるからだ。 仕事があっても、お金があっても、健康でなければ楽しめない!
ただし、ダラダラした老後の生活は健康を台無しにする。新しい健康的な生活のリズムを作る必要がある。そんな生活のリズムを作る上で実行すべきことは
自発的に事を起こすこと。受身的な時間の使い方は楽であるが、何故か充実感がないし後味が良くない。残りの人生を悔いのないようにしたいのは私だけではない。シニアの運動習慣は必須である。社会との繋がりを維持しながら孤独、孤立を防ぐ。精神的な充実感を得るには自分のプロジェクトを作るしか無い。
中高年のリストラ、定年退職、会社倒産などで起業するしか生きて行く選択がない人たちが増えている。多くは、若くない。若者と違って何度も起業への挑戦が出来ない年齢になっている。挑戦が出来ても2回ぐらいだろう。1回失敗して2回目に挑戦するまで年月がかかる。失敗で生じた借金の返済と新規に始めるビジネスの運転資金の蓄えに時間がかかる。
私は、51歳の時に起業した。起業したビジネスは今も続いているが、新しいビジネスモデルに転換している。シニアがビジネスを始める時、私の助言が役に立つと思う。もし、私が若返って25歳で起業するならばこんなプランを立てて行う。
仕事を探している高齢者が、男女ともに多い。いつも、年齢が問題になる。自分が望む仕事を探すが、見つからない場合が多い。生きがいを探すのと同じである。この問題を解決するのは、いつも、自分とつながりが有った人からの紹介である。
ただ、シニアになると知人、友人の数が減ってくる。新しい就職先を紹介してくれる人は自ずと難しくなる。定年退職の前に経営者たちとの親交を深めて自分の能力や魅力を売り込んでおけば、会社を卒業した時に声をかけてくれる可能性がある。
多くの定年退職者はハローワーク、人材登録会社や派遣会社を頼るのだが仕事は見つからない。そんなシニアが出来ることは限られている。退職金で経済的に余裕がある間に起業することである。年金を受給できる65歳までに小遣い稼ぎビジネスに挑戦してみることである。自分でお金を稼ぐという経験がシニアには必須になるからである。
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このページのシニアライター:Norito H.Yoshida
Profile
Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.
シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。