65歳になって体の調子が理由なく悪い時が出てきた。朝起きた時に腰痛がひどくなり、体を起こす時に気を使う。朝食を終わった後にお腹の調子がイマイチな感じがする。ボーッとしながら体の全体の感じを探るとなんとも言えない。体の調子が良い時は、体全体にエネルギーが出てくる。
50歳代の時と比べて60歳代の体の調子は確実に悪くなって来ているのが分かる。老化現象なのだろうか。これが70歳代になるともっと体の調子が悪くなっていくのだろうか。今から何とかしたいと思うのは私だけではないだろう。
還暦を過ぎたシニアは自然と自分の健康に目が行き始める。それは老化現象が体に表面化してきて原因不明の体の不調を味わい始めるからだ。歳を重ねるごとに予想もしていない病気に遭遇したり、人間ドックで精密検査を受けるよう言われたりする。
老後の生活は体の健康なくして楽しめない。他界するまでの時間を出来るだけ楽しく暮らしたいシニアは自分の体を大切にしなければいけない。シニアほど「体は資本」になる。
現在、年金支給年齢が65歳となっている。これが70歳、さらに75歳になるのではという記事が週刊誌に出ていた。直ぐにはこんな変化は起きないだろうが、法律でそのように決められたら困るのはこれからシニアになる人達である。こんな記事が出てくるということは、70歳年金支給という案が政府内の何処かで生まれているということではないか。
年金の恩恵を最大限に享受するには、長生きをして年金を受け取り続けることしかない。年金受給前に死んでしまうと喜ぶのは政府である。年金受給年齢を伸ばせば、年金受給前に他界する人が増えて年金支出額が減る。
私は今年65歳で年金を受給し始めた。現在受給している月額は将来減少して行く。年金だけで老後の生活を計画しているシニアは今の生活水準を下げなければならなくなる。それが嫌なシニアは何らかの所得収入を増やす手立てを準備するしか無い。
14年間も我が家に尽くしてくれたSony製ハイビジョン29型テレビが壊れてRegza 4k43インチテレビG20Xを購入した。同時にブルーレイレコーダーDBR-Z610も導入した。今までの録画は、Sony極楽ビデオ(VTRとHDDとDVD)を使ってきたが既に時代はブルーレイに移ってしまった。
老人は、一般的に何か新しい事をやろうとすると後ろ向きな姿勢になる人が多い。なぜ、そのようになるのかが今までわからなかった。老いによる体の衰えに加え、新しい事への好奇心と興味の減退が著しくなるのが自分自身の心境で感じる。面倒なことはやりたくない!そんな気持ちが先に出るようになる。
でも、人から頼りにされたり、人助けになるようなことはどんなに面倒なことでもやる気を出す。自分の存在が社会から求められていると老人でもやる気を出す。特に若い女性や可愛い孫に頼まれると面倒なことでも断れない。誰かが何かで困っているときにそれを解決できることを知っているならば、老人でも手助けをする。
誰だって、自分が求められれば動き出す。
シニアの3Kが、お金、健康、孤独である事を最近学んだ。確かに、高齢者にとってこの3つの要素は深刻だ。お金を稼ぐことが出来ない老人、老いから来る健康障害の老人、最愛の伴侶を失った老人たちは、シニアの3Kを代表する。3つの要素のうち一つでも改善できれば、高齢者の不安を軽減できるかもしれない。
私はまだ65歳であるので健康で体力もあり、現役で仕事をしている。3K(お金、健康、孤独)の対象者になっていないが、年齢が75歳を過ぎる頃に3Kの一つが現実化するかもしれない。健康と孤独は予測ができないからだ。お金は仕事がある限り稼ぎ出せるし、貯蓄を取り崩して年金収入を合わせれば何とかなることが分かる。
健康障害とひとり暮らしの孤独はどうしようもない。
こんな年にしたい!と書いた目標リストがある。老後の人生を有意義に過ごすためである。
どれだけ達成できただろうか?

60歳、65歳になって何が変ったのか?
年齢の数だけ歳を取ったと頭で感じ始めた。心はまだ若いのだが。月々の年金の支払いもなくなり金銭的な負担も減った。社会は、60歳、65歳という年齢で色眼鏡で見始める。自分の意識と周りの人の意識に違いが生じ始める。
65歳から年金受給が始まり、再就職先を探すのが難しくなる。昔なら、年金生活に入るシニアが多いのだが現代は働かないと暇に殺される。今の60歳代のシニアは体力も気力もあり、若い。不安なのは70歳以降の生活費をどう稼ぐかぐらいだ。年金だけでは心もとない。お金は無いよりも有ったほうが良い。
寿命が尽きるまで生活費が続けば良いのではないか。それまでに貯めたお金を使って余生を楽しむ。お金は使わないと意味がない。貯めるだけでは何も恩恵を受けない。70歳代でお金を使うよりも60歳代で使ったほうが使うお金に価値がある。
お金には使える賞味期限がある。健康障害で動けなくなれば、溜まったお金を使う範囲が狭くなる。体が元気で健康なうちにお金を使う。それに気が付かないでお金を貯めれば幸せだ、安心だと信じている老人がなんと多いことか。挙句の果てにオレオレ詐欺で大金を失う羽目になる。そうなったら、つまらない人生になる。

この写真は、2015年の4月にWashington, D.C.とVirginiaを訪問したとき海外の観光客があまり行かないAlexandria市のWater Frontである。本当に絵になる光景が沢山あった。
この米国旅行は、私の還暦祝いであった。全てカスタムメイドの旅行スケジュールで時間を自由に使った。私たちにとって時間が一番貴重だ。一緒に楽しい時間を過ごすことが人生の中で最優先される。
米国旅行から既に5年が経過した。コロナ禍で海外旅行も直ぐにはいけない状態になった。今年は夫婦で国内旅行に出かけるしか無い。コストは下がる上に言葉の面での問題も文化の違いもなくなる。旅行は私達シニア夫婦に非日常体験をいつも与えてくれる。
貯めているお金には賞味期間がある。60歳代で行く旅行と80歳代で行く旅行では味わいが違ってくる。老いからくる健康障害で体の調子が良くないと使うお金がたくさんあっても使っただけの感激を受けない。夫婦ともに健康で元気な時に旅行に行くべきだ。同じ20万円の旅行で80歳代よりも60歳代のほうが味わい深い旅行ができる。
シニア男性にとって若い女性(大学生、20歳代、30歳代) はいつも光って見える。私だけであろうか。シニアであれば誰でも若さに引きつけられるのだと思う。若さは、美貌である。若い女性はお化粧をする必要がないと思う。若さが美貌を引き立ててくれる。肌、体の弾力性、潤いがある髪の毛。見れば見るほど若さから来る美が見える。

スターバックスで仕事をしてランチに出るのだが、若い女性たちの姿を遠くから眺めるときが多い。後ろ姿、ファッション、髪型、服装の色使いなど見る。若さが洋服からはみ出している女性もいる。タイトなジーンズ姿などはシニア男性を喜ばせる。
70歳前後になると仕事をしたくても仕事が見つからなくなる。自然と暇な時間が増える。そんな時に一緒に暇な時間を過ごせる知人、友人、仲間がいれば一人で寂しく自宅で過ごす必要がなくなる。妻と一緒に遊びができれば最高であるが、妻には妻の都合と遊び仲間がいる。老後はお互いの時間を自由に使う生活になって行く。
私は65歳で自営業を一人でやっている。インターネットの仕事であるのでパソコンが私の仕事・遊び相手になる。人間と直接会って話をする機会はコロナ禍で急激に減少した。今ではオンライン会議でしか人間と話ができていない。オンライン会議でお喋りをしても間が持たない。パソコンの画面に映る人との話は目的がはっきりしていないと続かない。
ポストコロナの社会は以前の社会と違ってきている。3密を避ける行動が求められる。マスクが必須アイテムになる。シニアにとってコロナ感染は死に至る可能性が高い。自ずと直接会ってお酒を飲みバカ騒ぎができない。近所のシニアたちは公園でグランドゴルフやゲートボールを楽しんでいる。
公園で一緒にスポーツをする仲間に入れば、その延長線で遊び仲間が徐々に作れて行くのだが誰もがその仲間に入ってスポーツを楽しめるとは限らない。私はゲートボールもグランドゴルフも興味がないシニアである。とても、仲間に入れて!と言って入っていけない。
孤独から逃げるには、孤独と向き合うには、という問題がだんだんと大きくなる。
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このページのシニアライター:Norito H.Yoshida
Profile
Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.
シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。