気温の変化が激しくなると体調を崩して風邪を引く人が増える。特に若者は人生経験が浅いため風邪を引きやすい。体力があるため自宅で寝ていられない。どうしても外出してしまう。外出して風邪菌を無意識のうちにばら蒔く。
今は新型コロナウイルスで日本中の人たちが心配している。マスクも消毒スプレーもドラックストアで替えないほど心配の度合いが増している。大勢の人が集まるイベントや人が密集する公共交通機関を避け始めている。電車の中で咳がすると皆がその方向を見る。そして、咳をした人がマスクをしていなければ、距離を取る。
今日の午前中、横浜のスターバックスにいたら風邪を引いた若者がマスクなしやって来て私の隣りに座った。私はやばいと思って直ぐにマスクをした。風邪を引いて咳をしながら鼻水をズルズルしている人の近くに長くいると風邪に感染するリスクが高まるからだ。もしかしたら、新型コロナウイルスかもしれないと不安になり、直ぐにその若者から遠い席に場所を移した。
風邪を引いた若者は自分が新型コロナウイルスを含めたバイ菌を撒き散らしている事実をどう思っているのだろうか?
我が家は、大人になっても息子二人の誕生日祝いを毎年する。二人とも夏に生まれた。いつも、お腹いっぱいになるまで食べさせる。私も家内も子供たちも大食家だ・・・と言っても一人2人前ぐらいだが。昨日、東中野にある小さなイタリアンレストランで長男夫婦、次男、義兄の長男、私たち夫婦の6人でちょっと遅れた誕生日祝いをした。長男が34歳、次男が31歳になった。もう、立派な大人だ。
長男は、結婚して長男が生まれた。次男は、これからだ。二人とも私よりも優れている。良いDNAを家内から頂いたからだ。私のDNAに無い家内のDNAが性格に身体に出ている。親として、ここまで成長してくれてありがとうと言う気持ちでいっぱいだ。
私の知人夫婦は独立した子どもたちと会うことが少ないという。年に1回の正月に顔を見せるそうだ。想像するに多くの家庭はこんな感じかもしれない。今の世の中は家族の絆が途切れ始めている感じがする。昔の家族主義よりも個人主義だ。
先日、家内と原宿にある明治神宮と竹下通りに行ってきた。二人とも原宿に来たのは、30年ぶりになる。相変わらず、若者たちであふれていた。明治神宮では、観光客が沢山きていた。私たちのようなシニア夫婦を見かけるのは少なかった。
竹下通りは、入り口で見渡す限り人、人、人で満員電車の中にいるような感じに見えた。二人とも通りに入るのを止めた。とても入る気力が無かったからだ。仕方なく表参道周辺を歩き回った。歩いているうちにCat Streetと呼ばれる裏道に足が向いていた。キャットストリートは宮下公園通り方面につながっている。
宮下公園は現在「新宮下公園」として商業施設・ホテル新設などを伴う再整備工事で2020年3月頃新しい施設(ホテル、駐車場、商店、公園、スポーツ施設など)に生まれ変わる。
毎年、2月14日がやってくる。バレンタインデーである。若い女性たちは本命と義理チョコを買い漁る。64歳の時は、長男の嫁からチョコレートを頂く。今年はどうだろうか。明日に成ればそれが分かる。子供が生まれているのでバレンタインデーのプレゼントを買う暇がないかもしれない。何事も子育てが優先される。
昨年頂いた嫁からのチョコレートの半分は妻の口に消えて行った。妻は私にバレンタインのチョコレートをくれなかったのに。この不条理が理解できない。私の物は妻の物という感覚なのだろう。
60歳を過ぎてもバレンタインのチョコレートをもらっているシニアはどれだけいるのだろうか。妻からもらっている夫は幸せだ。初々しい愛が生きている。
海外のスターバックス店
時刻は、午後5時47分である。スタバの席は全て埋まっている。90%が若い女性と男性だ。特に目立つのは、大学受験生たちだ。これから各大学の試験が本格化する。土曜日の夕方は、スタバで集中して勉強をしているのだろう。
午前10時頃のスタバは20歳代と会社員の男女がまばらに座ってなにか勉強したり、仕事をしたりしている。夜スタバとは雰囲気が違う。会社で働く会社員はオフイスで仕事をしている時間帯。そうでない会社員は営業マンか、ノマドワーカー、または、個人事業主ではないだろうか。
午前中のスタバには私を除くシニアが一人しかいない。普通のカフェ(ドトールコーヒーショップ)には多くのシニア男女が時間を潰しているのだが、なぜかスタバには見かけない。スタバはシニア向きではないのだろう。雰囲気がアメリカ風でシニアの肌に合わないと感じている。
年齢による差別というか、対象外と言うべきなのか分からないが嫌な思いをしている。
横浜の街中を歩いていると販売目的で何やらサンプルを無料で歩いている人に配っているのを見かける。私の前を歩く若いカップルには無料サンプルを配り、私は無視される。
販促目的のサンプル配りはターゲット層が予め決められている場合が多い。たまたま、私がそのターゲット層ではなかったのだろう。そんな裏事情を知らないシニアは年齢による差別と認識する。シニアだから、製品やサービスの販促対象にならないという企業側の見方がある。
高齢者だからこんな事なんか分からないだろうから相手にしないという姿勢が日常生活で私は感じている。IT関連のイベントに参加すると60歳代のシニアの参加者は少ない。多くは20歳代、30歳代である。懇親会でもシニアは浮いてしまう。
65歳は前期高齢者である。10年後の75歳になると後期高齢者になる。65歳と75歳での生活は身体的に違う。10年若い体のほうがやりたい事ができる。老いてくると今まで難なく出来ていたことが出来なくなり、やりたい事ができなくなる。これは確かである。
70歳になるまでに欲しい物、やりたい事を満たして行きたいと思っている。それを求める2つの理由がある。
生きていることを楽しむには健康な体と正常な五感がないと楽しめない。その意味合いで欲しい物ややりたい事を今から実現して行きたい。年齢が70歳を超えてからほしい物を求めても感動がないかもしれない。年齢によって欲しい物が変わって行く。
「半世紀以上“日本の顔”の役割を担ってきたホテルオークラだ(別館で営業中)。最後の3日間、大切な思い出を抱える多くの人がやってきた。親孝行しようと 背伸びして部屋を予約した家族。結婚式の記憶を温める老夫婦。和の伝統と西洋のモダンが融合した内装を目に焼きつける建築家。」(引用先:NHKドキュメント72時間)
ホテルオークラは、仕事やお付き合いで何度か訪問した経験がある。宿泊する機会はなかったが、高級なホテルという印象をずっと持っていた。多くの人の出入り一つ一つに人生ドラマがあるように見える。そんなドラマを今回の番組は私に見せてくれた。
社会の縮図が手に取るように見える24時間営業のファミリーレストラン。食を取る場所に色々な人たちが集まる。その人たちの顔や行動を観察すると人生の喜怒哀楽が見える。
24時間営業のファミリーレストランは人生の行き場を失った人たちにとっての場所として社会の役割を果たしている。仮眠の場所として若い人たちが使っている。シニアは朝食をファミレスで取り、新聞や雑誌を読みながら午前中をそこで過ごす。毎日が日曜日の午前中をファミレスで時間を潰す。
私はファミリーレストランを仕事場として使ったことがないが、朝早くファミレスで朝食を取りながら昼まで仕事をする環境としてみれば、使えるという感覚がある。ただ、カフェのように居座る雰囲気は感じない。
24時間営業しているレストランは、食事をする場所として色々な人間が立ち寄る。自家用車でドライブ旅行をしているときに時間を気にせず気軽に立ち寄れるレストランである。それ故に食と休憩を求める人たちの人生の一部を垣間見ることが出来る。
ドキュメント72時間が取り扱う内容は、色々な人の人生を垣間見させてくる内容が多い。昨日見た「路面電車に揺られて」は、広島の路面電車を定点観測している。緩やかに時間が流れるように広島の住民は路面電車を楽しんでいる。生活の一部になっている路面電車が人生の一部のように感じた。
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このページのシニアライター:Norito H.Yoshida
Profile
Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.
シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。