第2回目の新型コロナ感染の非常事態宣言が発出された。非常事態宣言が発出される前から私なりに気を付けてきた。新型コロナ感染を避けるために人と会わない、会話をあまりしない、3蜜になりやすい場所に行かない、マスク着用、手の消毒などをしてきた。
本日、妻と一緒に5キロ先にある公園に出かけた。妻の後を歩きながら何故かいつもと違う息苦しさを感じ始めた。目的の公園に行くにはいくつかの上り坂と下り坂を通る必要がある。最初の上り坂で息が切れ始めた。いつもならばそれほど気にしないのだが、なぜか、ちょっとおかしいと不安になった。
私の不安は新型コロナ感染の初期症状ではというものである。
SF小説「復活の日」(小松左京著)を新型コロナ感染増加時期に読んでいた。読みながらこのコロナが「復活の日」に登場するウイルスと重なり始めすごい恐怖を覚えた。未知のウイルスであることと全世界で人間を苦しめている点で共通しているが、小説では人間は南極にいる1万人弱しか生き残れなかった。
米国や英国では1日の死者数が数千人になっている。「人間を殺すウイルス」として不安が広がっている。未知の恐怖に対して私達は何が出来るのかを考えさせられる。
多くの人が小松左京の「復刻の日」をどんな結末になるかを求めて読んだ。小説は読み終われるが、COVID-19ウイルスは終わっていない。
高齢者にとってコロナ感染は「生と死」の運命を言い渡される状態になる。覚悟が必要になる。生と死は表裏一体。生まれてきたら、死んでいく。生きている期間が短いか、長いかの違いでしか無い。
今年66歳になる私が出来ることは限られている。ただの風邪の一種と言っている人がいるが、そんな人ほど後で後悔をする。コロナウイルスで大勢の人達が亡くなったという事実は隠せない。
年金生活が長くなると何のために自分は生きているのかという疑問が心に芽生えてくる。年齢が80歳をすぎれば体の調子も悪くなり自分の時間を楽しむことも限られる。60歳から毎年1歳づつ年を取っていく過程で自分の存在が社会から求められていない感覚を感じ始める。
そうなると、私は何のために生きているのかと悩み始める。
老いて来ると今まで出来ていた事が出来なくなったり、生活の環境について行けなくなったり、 経済的に苦しくなったり、生きがいがなくなったり、時間をもてあそぶ事が多くなる。生きる目的を見失いがちになる。
何か没頭することがあれば、精神的な悩みは消えて無くなる。物理的な不都合は、自分が出来る範囲で改善しようとする努力が無い限り消えて無くならない。誰もが老いからは逃げられない運命にある。生きることを楽しむためには何をしたら良いのだろうか?
今朝、横浜駅に隣接しているそごうデパート3階にある広場で多くの高齢者集団を見つけた。リュック、帽子、運動靴、ジャンパーの姿で地図パンフレットを持っていた。ウォーキングのグループ団体だとすぐに分かった。
男女ともに同じぐらいの割合。年齢的に70歳以上の高齢者が多い。健康を意識して歩く老人が増えているのだろう。どうせ歩くならば皆で一緒にという事だ。ウォーキングは自然を楽しみながら歩く。それが老人にとって一番健康に良い。電車に乗ってハイキングコースがある場所に移動し、散策を始める。
そのために駅に隣接しているそごうデパートの3階広場に集合していたのかもしれない。
60歳代になって皮膚の老化が目立ってきた感じがする。紫外線を多く受けてきた手の表面にシミのような褐色の平たい”できもの”が目立ってきた。小さいが数が目立つ。お風呂に入る前に洗面所の鏡に映った自分の脇下の一部に同じような”できもの”が3つほど見つけた。ちょっと、目立つので皮膚科クリニックに行って相談した。
なぜ何だろうか?年寄りは道路を渡る時に自分の身の安全を考えて渡らないのだろうか。老人の交通ルール無視が目立つ。歩道橋や横断歩道がちょっと先にあるのにルールに従わないで目の前の道路を渡る。
道路を歩いて渡るときに最短距離で渡る方が速くて安全であるはずなのだが、進行方向に向かって斜めに渡る老人たちが本当に多い。後ろに自動車が迫っているのにそれにも気が付いていない。老人は自分の身の安全を気にしないのだろうか。
65歳の初老である私は道路を渡る時、いつも右、左、右を見て安全を確かめる。私が見る老人たちはそれが出来ていない。前方しか見ていない。
何をすれば、シニアの体力がアップ出来るのか?と聞かれることがある。私なりの答えは、医者の助言と同じで週2回以上定期的な運動をすること。私は、筋トレを週2回各2時間ぐらいやっている。
スタミナアップ法がNHKのためしてガッテンで紹介された。スタミナは体内のミトコンドリアが提供している。ミトコンドリアを増やすことが出来れば、スタミナアップが期待できるという話だ。筋肉の細胞内に存在するミトコンドリアは体内の脂肪酸やブドウ糖を燃やしてエネルギーをつくり出す。ミトコンドリアはエネルギーの元。ミトコンドリアを増やせれば、体は疲れにくくなる。
生きる力は、何かを求め始めて生まれてくると感じている。精神的な力が肉体を動かす。新しい物への好奇心。 新しい体験。まだ行った事がない未知の場所や国への興味と探究心など。
シニアは新しい事への挑戦をしたがらない傾向が強い。定年退職後は、今までに挑戦したことがないことを経験すべきだ。会社を卒業すると回りからの刺激が急減する。今まで仕事で必要とした情報が必要なくなり、入ってくる情報が少なくなる。自分で意識して情報を取りに行かない限り、老後の生活を楽しませる刺激が得られなくなる。
日本人の健康寿命は、約70歳だと言われる。健康寿命は、平均寿命と違って普通の生活が問題なく出来る寿命である。
健康面で誰にも迷惑をかけずに普通の生活が自分で出来る年齢が70歳から75歳前後までと言われる。私は今65歳。75歳まであと10年あまりある。当然、個人差はある。平均値であるからだ。この10年間のうちに体に支障が出ないよう健康管理をしっかりする必要がある。
最近、カフェでも電車のプラットフォームでも独り言を言っている老人を見かけることが多くなった。昔は、滅多に巡り合うことはなかったのだが、この頃は何故か多い。やはり、高齢化時代になって話す機会を失った老人が増えてきたのだろう。
普通の人から見ると違和感を覚える。初老の私でもちょっと距離を置く。私が独り言をいう時は、何かを必死になって考えて答えを出そうとしている時だ。答えが閃いた時に、「そう、これだ!これで解決ができる!」的な独り言になる場合が多い。
独り言を言っている老人は、2つのタイプがあるように見える。
22 / 28
このページのシニアライター:Norito H.Yoshida
Profile
Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.
シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。