毎年この時期になると集合住宅(マンション)の防災会議が開催される。世帯数が560もある大規模集合住宅(マンション)であるため、コミュニティールームで各ビルディング毎にスケジュールされた週末に開催される。防災会議と言っても災害時に近くの世帯とコミュニケーションを取り、役割分担をすることと災害時に知っておくべき知識を学ぶ会議だ。
防災会議に出席する世帯は、いつも、顔が同じだ。参加しない世帯は一度も参加しない。私たち夫婦は毎回参加しているため、知るべき重要な防災知識を何度も学んでいる。
新卒者は、学生から社会人となるために会社組織で働き始める。定年退職者は、第2の人生を会社組織から離れて始める。新卒者は、社会生活をこれから学び、自分たちが夢見ている生き甲斐を探す。定年退職者は、自分を中心に人生を見直しこれからの新しい人生を試行錯誤しながら学ぶ。
新卒者には社会から羅針盤が与えられる。定年退職まで会社組織で生活すれば、65歳まで安心と安定した生活を得ることが出来るという社会常識という羅針盤だ。定年退職者は社会から人生のガイドになる羅針盤が与えられない。自分で自分の人生のための羅針盤を作らねばならない。
65歳という年齢で社会人としての節目を迎えて老後の人生を自分で描く立場になる。組織から離れてたった一人の人間として自分で生きる道を探す出発点に立つ。若者とは違い、65年という人生経験がある。その人生経験から自分が求める新しい人生を自分で見つける運命を授かる。
66歳である私は、いつも、70歳過ぎになった時の自分を想像する。今と同じ感じでビジネスを継続できているかどうか。大きな変化が社会に起きている。インターネットビジネスもダイナミックに変化してきている。変化を味方に出来るよう自分のビジネスを変えていく必要がある。
今の自分が何をやるべきかを考えている。自分の生きがいとして始めたビジネス、60歳代のときは加齢から来るリスクを感じていなかった。70歳代になると体の免疫力の衰えで体調不良や病気に成りやすい。加齢によるリスクである。
65歳定年退職で起業するシニアは加齢によるリスク対策をビジネスモデルの中に入れておく必要がある。体がいつも資本であるので自分の健康次第でビジネスが終わる。10年先は70歳代になる。老化現象が今よりも顕著に出始める。老化によるリスクをどう考えるかだ。
私達が生きてきた時代は、高度成長時代であり、生き方の路線を世間が示していた。その路線に沿って生きていけばある程度のライフスタイルを謳歌できた。それは、有名大学に入学、卒業、大企業に入社するという路線だ。この路線をはみ出すと社会から異端視される。
終身雇用制度が生活の安定を保証していた。その代わり雇用されている会社を自分の家のように思って一生懸命働かないといけなかった。個人の自由や家庭の都合よりも会社の仕事を優先した。この社会の仕組みで世の中が上手く回っていた。
あっという間に時代は2020年代である。時代はコロナ禍で生活に困る人達が溢れ出している。シニアが再雇用先を探す時は失業した若者たちとの競争になる。
子供たちの親として自分の人生に悔いが無いようにして人生を終わりたい。たぶん、誰もが同じ思いだろう。子供たちは自分が歩んできた人生を見ている。私には自分の後ろ姿が見えないが、子供たちはそれが見える。
そして、その後ろ姿を参考にしながら自分たちの人生を考えるようになる。父親は自分の子供たちの人生の比較対象なのである。私自身、時々、こんな時私の父親はどうしたのだろうか?と考える。楽しい時よりも精神的に迷っている時や苦しい時が多い。父親の人生は子供にとって身近な人生の比較データになる。
長男はもうすぐ二人目の子供を持つ父親になる。会社勤めで手堅く会社員キャリアを進んでいる。次男は独身で起業をしている。やりたいことをやっているがビジネスが立ち上がるまで時間がかかる。生活は苦しいが夢に向かって自分の人生に挑戦している。
変化が激しくて大きい今の時代は定年退職まで一つの会社に人生の大半を委ねることが出来ない。パナソニック、ソニー、東芝、シャープ、日立、JTB、JAL、電通などの大手企業でさえ大規模なリストラをやっている。「寄らば大樹の陰」という考え方が消えてしまった。頼れるのは自分自身。
そんな変化を子供たちは現実を見て感じている。父親は定年退職で子供たちと類似の境遇に入っている。会社におんぶにだっこの人生はもう得られない。60歳、65歳を過ぎた年齢が大きな壁となって自分の力で第二の人生を切り拓けと言っている。
郊外に一軒家で生活をしていた団塊世代のシニア夫婦が都会に引っ越すをする。なぜ、老後にそんな引っ越しをするのだろうかと不思議に思っていたら、私の家内が横浜の田舎よりも都会で便利な場所で生活をしたいと言い出した。
ああ、そうなのか!都会には便利な環境があるということだね。ここで私の価値観と家内の価値観の相違が生まれる。横浜は平坦な土地ではなく丘陵の多い土地であるため、坂道が多い。普通の自転車では疲れる。電動補助付き自転車でないと坂道を登っていけない。
家内が今の場所を嫌がる理由が丘陵の多い土地にある。最寄りの駅まで歩いて行く道程には山から降りていくという印象を与えている。降りていくのは良いが、帰りは登っていく。これが嫌だと言う。今は自動車を運転することが出来るから良いが、自動車を運転しなくなったら食料の買い出しなどが大変になる。それも気になるようだ。
老後の生活は利便性が女性にとって一番気になるようだ。
66歳は老人ではないと私は認識している。私の感覚では80歳を過ぎたら老人になる。60歳代、70歳代はまだまだ普通の生活が自分でできる体と精神を持っている。当然、個人差はある。人によって60歳でも75歳過ぎのように見えるシニアがいる。老い方や風貌はその人の生活習慣で変る。
私は週2回から3回の頻度でゴールドジムに通って筋トレをしている。その理由は66歳の年齢に合わない力強い体格を築くためになる。筋トレを続けているとその効果が体格に現れる。体に筋肉がついている、いないだけで他人に与える印象が違う。
違いは上半身と下半身に現れる。懸垂やベンチプレスを続けると肩幅が広がり逆三角形の体格になる。胸に筋肉がつくと胸板が厚くなる。スクワット運動をするとお腹のたるみがなくなる。フラットなお腹で見栄えが良くなる。太ももは筋肉で太くなり贅肉が減る。
髪の毛の色や量は老人に近づくが体格だけは筋トレで若者に近づく。筋トレをやっていない若者はベンチプレスで60キロ以上をあげられない。私は90キロをあげられる。普通の若者にない筋力がある。顔や皮膚はシニアを隠せないが筋肉がついた体格は若返っている。
私の目標は80歳になるまで現在の筋肉を維持してシニアに見えない体格を作り上げることである。年齢に合わない体格を作り上げることが人生の目標になりつつある。体の若返りを筋トレで実践している66歳。
2018年1月1日施行された「休眠預金」に関する法律で注意することがある。この法律は、「10年間異動がなかった口座の預金は休眠預金に移管され、民間公益活動に活用される」と言うものだ。「異動」は残高が変わるような取引を言う。つまり、入出金があれば良い。口座の残高照会や通帳への記帳などは残高が変わらないので行っても異動として認知されない。
銀行と郵便局では、「休眠預金」の取り扱い方が違う。郵便局にあるお金が20年2ヶ月間何も入出金の「異動」がなかったら、そのお金は国に没収されて権利を失う!
買い物難民になる老人問題はニュースなどで知っていたが、ゴミ出し難民になる老人問題は初耳であった。
ゴミ出し難民になる3つの要素
この3つが主な原因のようだ。普通の生活が出来なくなった時点でゴミ出し難民になる可能性は高くなる。
買い物難民になる老人は、電話さえできれば食料品や日常品を配達してくれるスーパーマーケット店が助けてくれる。ゴミ出し問題は、ゴミ出しを代行する便利屋に依頼するしかない。お金がいる。
定年退職後、通勤するはずの自分が自宅でゆっくりテレビを見ている。長年の会社勤めを終えてやっと一息つく時間が持てた。そんな日々が1週間続くと理由が分からない不安に襲われ始める。
これからの人生をどの様にしたら良いだろうか。退職金だけで老後の生活が維持できるのだろうか。何歳まで働けるのだろうか。自分の体は、どんな感じで老いて行くのだろうか。何もしない日々の中で自分一人で自問している。気楽に雑談をする仲間もいない。
会社に勤めている時は、定年退職の年齢が一つの節目になっている。その後の節目が見つからない。定年退職の年齢で再就職できても、また、年齢で雇止めになることも予測できる。その後は、どうする?そんな自問が頭の中で浮いている。不安は尽きない!
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このページのシニアライター:Norito H.Yoshida
Profile
Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.
シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。