シニア夫婦の間で良くある話。家庭では妻が主人になる、かかあ天下。妻の手の平の上で夫は泳いでいる。妻なしには生活が回らない。それが、世の中全ての夫ではないか。別に日本だけではない。どの国でも類似な現象が夫婦間に起きている。
歳を取ってくると妻の暴言が激しくなる。知らない人がその暴言を聞けば、喧嘩を仕掛けているように聞こえる。あの言葉は何がなんでもないだろう!と一瞬思えてしまう。そんな夫婦間の会話というか、妻からの一方的な暴言をスタバのカフェで聞いていた。
聞きながらシニア夫婦のパワーバランスが見えてくる。私の妻も暴言が激しくなってきている。あたかも子供に叱るような言葉使いで命令してくる。いつも、私はこう答える、「私はあなたの子供ではない!」。妻はこんな返し言葉で襲ってくる。「あなたのような子供を生んだ覚えはない!」。
妻の暴言が増えてくると暴言が暴言でなくなる。私の耳にフィルターが出来上がり、全ての暴言がゴミ箱に直行するようになる。聞いていて聞いていない状態になるのだ。
連休の最中に、スターバックスのテラスに座り、コーヒーを飲んで通り過ぎていく通行人を眺めていた。目が行くのは、いつも、若い女性。何歳になっても男は若い女性に目が行く。若さは美貌である。若いだけで女性が輝く。20歳代の女性と30歳代の女性では、肉体の若さが表に違いとして出てくる。20歳代の女性は初々しさがある。30歳代の女性は、成熟した雰囲気が出ている。
通行人の中に美人と可愛い女性を見つける。結婚するならば、どちらを選ぶだろうか。多くの男性は美人を選ぶのではないだろうか。
定年退職後のシニアは、今まで働いてきた分野の知識と経験が有る。それが社会で求められる「場」があれば、給与の金額はどうであれ自分が社会でお役に立つと感じ始める。
現実はアクティブに働きたいシニアの働けれる「場」が生まれていない。人材不足と言われているが、経営者たちは色眼鏡で人材を探しているようだ。少子高齢化で最終的に困るのは企業であるのだが、それがまだ分かっていない。企業はシニアのリソースを有効活用できる仕事環境を考えて提供すべきではないか。
シニアに生きがいを与えることで社会は活性化する。働きたいシニアに働く場を提供する社会環境が今求められる。
年金の受取を65歳から70歳に変更した時、67歳で死んでしまったら誰が喜ぶのか。自分の老後のために年金を毎月積み立ててきたお金が全て他人のために使われる。本来は自分の老後の生活のために使われるはずのお金である。私は65歳から年金を受け取っている。これを70歳に変更したら貰える金額は増えるかもしれないが70歳まで精神的な負担は消えない。
個人事業主として仕事をしているが、年金を65歳から受け取り始めると毎月の生活費を心配する必要が無くなった。その結果、精神的なストレスはすごく軽減された。年金は黙っていても自動的に銀行口座に振り込まれる。受け取れる年金は早いほうが良い。国が約束する年金額は将来減少する傾向が強いからだ。介護保険金額が増えて来ていることからそれが分かる。手取り金額が介護保険金額の増加で少なくなっている。
年金受け取り年齢を65歳から70歳に変更すると見かけ上の受取金額は増加するが、年金の実質受給金額が毎年下がって行くとしたら(介護保険金額が増加している現在)、意味があるだろうか。65歳時に年金をもらうことで生活を楽に出来るならば、それが一番良い選択になると私は思っている。収入に余裕がある人は、別に年金で生活をしているわけではないシニアたちは社会貢献として年金の受取年齢を70歳あたりにするのは問題ない。
「65才何もする事が無く精神的に限界」と思って生活をしているシニアがいる。こんなシニアは、昔の企業戦士である。エコノミックアニマルとして仕事に一生をかけて働いてきた会社員である。
私を含めてシニアが新しい事を始めるのには、何かのきっかけが必要である。きっかけは何でも良い。何も頭に浮かばなければ、体を動かすことである。もし妻が許すならば、私は今から近くのショッピングモールに電話してカート回収アルバイトに応募する。このアルバイトをやりたいのだが、家内が世間体を気にしてやらせてくれない。
私の仕事はインターネットビジネスであるので半日ぐらい自由に出来る時間がある。インターネットで稼ぎながら、現実の世界でもお金を稼ぐ時間がある。カート回収アルバイトは、体力を要求する。体を鍛えるのに都合が良い。「65才何もする事が無く精神的に限界」と思っているシニアは、頭で解決方法を考えるのではなく体で汗を流しながら体で考えたほうが問題を解決しやすい。
「65才何もする事が無く精神的に限界」なんて自分の頭が勝手に作っている。頭にコントロールされないで体に一時的に任せたら良い。
最近、楽しみにしていることがある。スポーツセンターや公園の鉄棒で懸垂をしている。ちょうど、懸垂をやり始めて2年が経過した。懸垂の運動は週1~2回程度で疲れたら止めるという運動になる。最初は懸垂が3回しか出来なかった。2年後の今月は、10回まで出来るようになった。
懸垂はやり続けると時間の問題で回数が階段のように増えてくる。難しい点は直ぐには出来るようにならないことである。懸垂に使う上半身の筋肉が鍛えられて増強しないと1回もできない。筋肉が強化されて筋肉量が増えるまで最低1年間以上かかる。特にシニアは若者と違ってタンパク質を多く取る食事をしていないため筋肉が増えて行かない。
シニアが懸垂を始めて1年以上経過すると体格と姿勢が見違えるように変わる。体格と姿勢が変わるとポロシャツやTシャツを着たときの見栄えが良くなる。見栄えが良くなると年齢が若くみえるようになる。
今までずっと自分の幸せだけを求めて生きてきた人たちが多い。自分たちの幸せは、一人では得られない。社会で生活を共有する人たちとの共同活動で社会は動き成り立っている。その中には、社会について行けない弱者たちが大勢いる。でも、彼らも今までの社会を構成しサポートしてきたメンバーである。力に余裕が有る人、経済的に余裕が有る人、時間的に余裕が有る人、何かを弱者のために提供できる60歳過ぎのシニアであるならば、他界する前に世のため、人のためになる行為をすべきではないか。
社会貢献は自己満足の行為でも成り立つ。
自分の体から失われて行くものは、いつも使っていないもの。私は仕事でパソコンを使う。文字を筆記用具で書く事は一切ない。全てキーボードでの指の作業である。これが災いになって漢字が書けなくなっている。漢字を書かなくなると文字は読めるがイザというときに書けないという日本人として恥ずかしい状態になる。
簡単な漢字でも度忘れしやすくなった。いつも、これではだめだ、ダメだと思い続けているのだが手で漢字を習う、使うというアクションが続かない。会社員の頃は、パソコンを使うよりも会議に出てメモを取ることが多かった。今は、一人で仕事をインターネットでしているため手でメモを取る必要が無い。
手書きでメモをとる習慣があれば、少しは漢字を書ける状態を維持できたのだが。毎日パソコンに向かってキーボード入力をする生活では難しい。世の中は便利な機器で物事を素早く簡単に効率良く成せるようになったが、人間の能力を駄目にする。
猛暑で体が暑くなる。体を冷やすには冷房が良いが、体の内部から冷やすにはスイカが良いのではないか。汗で失う水と塩分をスイカが補ってくれる。スイカに塩を巻けば味も良くなる。子供の頃からスイカは大好物である。昔の実家には、スイカ畑が有った。スイカを食べるたびに子供の頃を思い出す。
先日、実家を継いだ兄夫婦から家内の実家あてに小玉ひとりじめが6つ送ってきた。そのうちの2つを頂いた。普通のスイカと違って小さいが皮が薄く甘い味が濃い。朝食のデザートに小玉ひとりじめを夫婦で食べている。シニアの水分補給の食べ物として最適である。
暑い夏は、Tシャツか、ポロシャツを着る機会が多い。この夏は、オーガニックコットンのT-シャツとポロシャツを買った。今までは、Tシャツやポロシャツは、100%コットンの繊維に拘っていた。コットンは肌触りが良いからだ。コットン製品の中には、オーガニックコットンを使っている製品がある。今までオーガニックコットン製品を使ったことがなかった。
ちょうど、無印良品のサマーバーゲンでオーガニックコットン製のポロシャツとTシャツが50%割引で販売されていた。価格がすごく安くなっていたので試しに買ってみた。
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このページのシニアライター:Norito H.Yoshida
Profile
Joomla CMSを使った法人・個人サイト構築で独立。51歳の時に会社を卒業。雇われる生活から自分を雇う生活になる。ソニー(株)、Yahoo!ジャパン(株)でインターネットビジネスの面白さを味わい、個人でも法人と競争が出来る隙間市場があるのに気が付いた。生涯現役でインターネットの世界で生きて行く。Western Washington University, B.S. in Sociology, Bellingham, Washington, USA.
シニアの生活は、体の老化に従って変わって行く。その体験記をこのブログで書いている。